No.26 我 デジカメ欲に苦脳す

ジャパネットタカタで2年前の良質デジカメ「finepix4900z」を破格で販売していたのを見て、むくむくと物欲がわいてきた。昔買ったデジカメはUSBに対応してなくて、画素も30万と貧困なうえ画像処理エンジンもひどいもので最早使い物にならない。今月発売した無印のデジカメも子供騙しながらもコストパフォーマンスが良さそうなので期待してたんだけど、画像処理が最悪なうえ、フルオートなのでやはり光量の足りない我が家ではとても使えないモノだった。 「finepix4900z」はマニュアルで、光学6倍ズームもついていて、fuji独自のCCDハニカム(ジグザグにCCDが配列)のため有効画素数220万画素なんだけど、実質430万画素の画質らしく(?)撮れるのだそーだ。WEBではもてあます画質だけど、画質の悪いカメラで640*480ピクセルなんかで撮った写真というのは、もうデジタル情報のポテンシャルがハナから低く、どうやっても良くしようがないのに比べて、まともな画像処理エンジンによって余裕ある画素数で撮影したモノには、たっぷりと目には見えない「色」に関する情報がつまっており、例えば青かぶりの写真でも適切な補正を行えば相当なレベルまで色を回復出来るし、結果的に640*480程度に縮小するにしても実に豊かな画像が作れる。さらに、角版の写真が複数A4サイズに配置されるようなレベルであれば、場合によっては印刷データとしても耐えうるレベルだ。 さて、問題はこの物欲が「正当な、価値ある自己投資」なのか「単なる一時的な盛り上がり」なのかということ。 また、確かに「そこにあるモノ」をすぐさま高画質でデジタルデータに出来るというのは今後のいろんな場面での表現においても多大なメリットを与えてくれるんだろうけど、果たして今の生活サイクルに「カメラ」のはいる余地があるかというのも心配。やるべきことが多すぎて、このうえさらに可能性を広げてしまう「ツール」にある種の恐怖を感じてしまうのだ。でもこの恐怖はおそらく「逃げごし」ベクトルからくるやつなんだ。それもわかるからつらい。 ん〜、しばらくは正確な判断は出来そうも無いので、「そもそも金が無い」という事実にぶら下がろう。 仕方ない。 決断と惰性、勇気とヘタレは紙一重か。 いやいや、そもそもなにが「正」でなにが「負」かという根深い問題か・・・

2002-09-24-TUE

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送