No.61 温泉にいきたいな

なんてこと、今日日記をアップしようとおもったらパスワードがなぜかはじかれる。ためしにBBSから管理ページにとぼうとしたらなんと今日10月29日の10時から11月4日まで、サーバ移転工事のためアップロードが一切できないと書いてあるじゃない。 不覚・・・ 事前にわかってれば日記でその旨発表できたもの・・ これじゃついにしげるめ断念したか、60日坊主たぁ、お前にしてはたいしたもんじゃねーか、ひっひ、とあざ笑われてもしょうがない。 くそ。 その日にあげるからこそ成り立つ他愛のない内容の日なんか目も当てられないぞきっと。 くそ。 でもしょうがない、書くほかない。 ってこれすらも一週間分まとめてふえるうちの2日目という中途半端な位置で読まれてしまうのか、ほんとにトホホだ・・

ところでぼくは最近やたらと温泉に行きたい。 ちゃんと宿泊して。 浴衣でお膳にのった食べきれない料理とお酒。畳。窓のところのテーブルと椅子。露天風呂。 なんだろ、いつも年始に温泉にいくから寒くなってくると連想しちゃうんかな? いまこうやって書いてたら具体的に想像しちゃって泣きそうになってきた。寒いときの匂いみたいなのあるじゃない?灯油とかそういうんでもなく、寒さそのものの匂いが。あれと温泉の記憶がぼくの脳で直リンクなの。「匂い」と「記憶」は実際に隣らしいもんね、脳内の担当部位が。 特徴的な臭いをかぐと「記憶」というよりか「感情」だけが急にそのときの「感情」になるから面白い。具体的な出来事とか人とかは思い出せないのに、おそらくその時期、その瞬間に感じてたであろう「切なさ」や「楽しい気持ち」や「わくわく」が急激に今の気持ちを支配する。すごいことだ。脳はそのときの「感情」をちゃんと保存できてて呼び出せば今のぼくの体にもそれをロードできる。いろいろ仕様が変わってるであろうこのハードに、いまだ同じように再現してくれるなんて! ぼくは匂いで感情を揺さぶれるのが大好きで大好きで、本当に大好きで、おそらく一番純粋に感動できるのがこのときで、しかもなぜか「悲しい」ベクトルの記憶のほうが断然楽しい。悲しいのが楽しいってのもおかしいが、でも「悲しい」感じが急激によみがえるとほんとに妙な幸福感に包まれる。 悲恋もののドラマが好まれるのと同じ原理だろうね。 そもそも人間は生き抜くために悲しさを忘れる(出来事の概要、意味は残るが感情そのものはひきずらない)ように出来てるから、悲しさがそのまま蘇るというのは体にとっても新鮮な刺激があるんだろーな。 感情を微分してつきつめたときの最小要素である「快・不快」の「快」が、「悲しみ」というほんらい「不快」でできてるはずのそれにも実際にはいっぱい含まれてるって証拠だとおもう。 まぁ「悲しい」って言葉の定義って話になるとそうりゃそうなんだけども。 なにはともあれぼくはその感情の快楽にまかせて温泉に行きたいのだ。ほんとにすごく。なるたけはやくさ。

2002-10-29-TUE

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