No.103 ココロのありか

ブラウザが復活しました! ためしに「初期設定」を捨ててからインストールし直したらもう不具合を引き継がなかった。 いや、よかったよかった。 「初期設定」すてると直ることが結構多いね、いろんなトラブル。 OS的な知識に非常に暗いぼくとしては、こういう職場で日々トラブルと闘うことはとても勉強になってありがたいことだ。 否が応でも自分で克服せざるをえないって状況がすごいよね。 あきらめるわけにもいかないし、他の人に聞いても分かんなかったら自分でどうにかして解決するしかないっていう、ある種サバイバル的な。 ま、そのぶんどんどんお腹に負担がいくんだけどね。 寿命と引き替えに知識を買うような・・  お腹の負担で思い出したけど精神的な苦痛がお腹にいくってのは、ここいらに神経が集まってるからだそうで、昔の人はお腹にこそ「ココロ」があると信じてたらしい。 いつから「心臓」イコール「ハート」になったかは知らないけど、血を送り出すポンプよりか気持ちの痛みが直接反映するデリケートなお腹のほうがよっぽど「ココロ」と呼ぶにふさわしいようにおもう。 「切腹」てのはお腹つまり「ココロ」になにも隠し立てしなきゃいけないような黒いモノがないことを開いて見せて、自らの潔白を証明するということなのだそうだ。 たしか。 コレを知ったときぼくはすごくすてきだと思った。 で、それ以来ココロはお腹にあると思うようにしてる。 「脳」ってのもまたべつだとおもう。 ここは記憶を作り出す製造所であり、整理整頓する装置であり、保管しとくアーカイブであり、まぁ感情だってここの処理によって作り出されるんだろうけど、あくまでソースを生み出すのであって、それをリアルとして感じるのは体のほうにあるとおもう。 体で感じたモノは結局脳にフィードバックされて・・・なんて考えると境界がむずかしいが、うれしいときのあの全身の気持ちよさや、苦しいときの胃の痛みや、うちひしがれたときの全身のしびれや、恐ろしいときの緊張なんかは、圧倒的に体のほうで感じているもののような気がするのだ。 ん〜〜、なんといっていいかわからないが、自分の中に送り手と受け手がいて、脳が送り手とするならば、受け手は体のほうなんじゃないかと思うわけ。で、最終的に受け取って受け入れて内省して消化する部分こそ「ココロ」なんじゃないかと。 「タマシイ」とか「精神」とか呼べるようなモノは体中の細胞にいきわたっているのではないかと。 で、その象徴ともいうべき場所、「ハート」があるといえる場所が、「お腹」なんじゃないかと。  だってさ、なんで「ムネがいたい」なんていうかちっともわかんないもん。それは心臓病だよ。 どうかんがえたって「ハラがいたい」だよ。 ぼくの場合。

2002-12-10-TUE

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