No.112 本当のことに目を向けるということ

世界史がとんっでもなくおもしろい。 こりゃやばい。はまった。 とくに知りたかった、20世紀の世界の動きのアウトラインをわかりやすく扱ってる歴史ヲタのページを発見し、暇さえあればひたすら読んでるのだが、その時間が最高に幸福なのだ。 gooの国語辞書を横に準備しておくと、知らない語句(ヘゲモニー国家とか)や、詳しくしらない歴史上の人物(チャーチルとか)なんかが出てきた時に、即座にコピぺで調べることが出来るので、非常に便利。 WEB全体で検索かけちゃうと、どこまでも深く入っていくことになってとりとめがなくなるので、とりあえずアウトラインが染みこむまではgooの国語辞書で調べられる範囲にとどめておく、というような制限が大事だとおもった。 拡大縮小できるPDFの世界地図などあると尚良い。 こんなに贅沢な勉強環境はないよ、ほんと。 今の少年少女が心底うらやましい。 興味があることを机の上でどこまでも追求できるんだもん。 すごいことだよ。 ベテランの一級建築士並のスキルを体得している小学一年生なんてのがごろごろいるんだろうな、最近じゃ。 いや、真面目にいるとおもうよ、そういう化け物キッズたちは。

このあいだ中東を中心に調べてたときに、「イスラエル」建国の伏線として、「第一次大戦中にイギリスがユダヤ人との密約で、協力してくれたらユダヤ人の国をつくってやると約束した」ということを知ったのだが、その時はヨーロッパの動きや、第一次大戦の詳細をしらなかったので、「イギリス」とか「第一次大戦」ってのは単なる記号でしかなかった。 ふうん、そうなんだ、と。 ところが今回、ヨーロッパの動きを中心に第一次大戦の流れを調べていたら、ヨーロッパの視点からその「ユダヤ人」が登場したのだ。 大戦中イギリス-ロシアの連絡をトルコが妨害していたのに対して、イギリスがアラブ人、ユダヤ人(ともにトルコから支配されていた)と密約を交わし、戦後にそれぞれの悲願である独立国建設を支持するとして、トルコへの反乱を促したのだという。   あ、つながった。   「イスラエル」建国の下地がぐんとリアルになった。  そう、こういうのが面白いのだ。 以前蓄えておいた「知」が不意に活用される瞬間。因果がいっきに明確になる瞬間。 情報が急激に立体化し、自分のなかに根付く瞬間。 これが複雑に絡み合う世界の歴史を勉強する醍醐味なのだ。 年代を時系列でゆっくりなぞりながら、すべてのweb(網)を理解しながら贅沢に楽しむというのもいいのだけど、こうやって地域ごと、事件ごとに取り組んで、で、そこがおわったら時間を遡って「さて、それではそのとき中国大陸では・・」というやり方が、ぼくはいっとうトキメくのだ。 主観と客観が切り替わり、善と悪のあやふやを感じ、さまざまな伏線が集結してひとつの結果を生み出す。 なぁなぁにしていた、「音」でしかしらなかった単語たちがどんどん自分のなかで意味をもっていくのもうれしい。 当然様々なホロコーストやテロのよる信じがたい「悲劇」も知ることになり、たまらない気持ちにもなるのだが、これを知らないままでいることこそ「罪」だったなと、それまでの自分にぞっとする。 無知のまま、じぶんこそは平和の使徒なりとジョンレノンなぞを高らかに歌い、ピースマークのタイダイTなど得意に着こなし、漫然と日々をすごすことこそ、「不幸」をいつまでも生産し続ける世のしくみをだらだら存続させる一助となっているのでは?とおもうわけ。 だからせめて、「知っておこう」と。 「知らない」ってのは罪で、恥ずべきことだと、いつものことながら申し上げたいわけさ。 ぼくはこの不意に沸き起こってきたモチベにのっかって、26年間の歴史音痴をテッテ的に反省し、ちっとずつでも、この現代のとりかえしのつかないような感じのする「歪み」の下地となった「過去の現実」を知る努力をするぞ。と。  だってさー、そんな大事なこともしらないまんま「いい絵」かいたり「いい曲」つくったり「いい椅子」こさえたり「いい人」ぶったりしてもさ、そんなのやっぱりうすっぺらいわけじゃん。 無知のままただなにかに乗っかって、都合のいい方だけ向いてるっていうのが、すごく傲慢でずるくてちっぽけだとおもうの。 「本当のこと」に目を向けれる人たちだけなら戦争なんて絶対に起こりえないもんね。 いう価値もないほど当たり前のことだけど。   

2002-12-19-THU

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