No.145 寝室の可能性

どうも今週にはいってから、地に足着いてないというか、地球の「気」の流れに同調できてないというか、出来事そのものは普通だし、変なストレスがあるわけでもないんだがなんか嫌な「焦燥感」にかられていてこまった。 原因不明だしなんでもないといえばなんでもないもんだから、対処のしようがない。 意外なハッピーでも起こればくるりと変わるんだろうけど、それを期待した時点で「意外」なハッピーの可能性は無くなった。 ばか。 この感じはなんだろうとつきつめたところ、どうやら時間に見合わない量の情報処理をしたいがうまく出来ないという、「いつもの」ジレンマに他ならない。 それが具体的でなくうすぼんやりとじわじわ体に染みこんでいった結果がこの嫌な、妙な焦りらしい。 先月開発した秘技「夜更かし」で切り抜けようと思ったが、今週はまだ4日も残っているのでそれはあまりにもリスキー。 そこでぼくは逆にすべてをあきらめて、何もしないで寝ることにした。 これはこれで状況が逼迫してないかぎり有効な「リセット」になり得るのだ。  もうひとつ思い当たるのが、今週の休みは単休の上にさぽも休みだったから、「完全にひとり」になれる時間が極端に少なかったというのがある。 ぼくは基本的に「ひとり」でいる時間を大切にしたいほうで、仕事中もなるべく、仕事に支障をきたさないギリギリのとこまで「ひとりにさせてくれオーラ」をだしている。 もちろん人と話すのは大好きだし、さぽなんて「こいつは自分か??」とおもうぐらい、一緒にいて負担にならない心地いい存在なんだけど、やはり人間「ひとり」になる時間ってのは必要で、重要で、それありきの対人だとおもうの。 さぽは平日に休みが必ずあるから、仮に望んでないにしても「ひとりぽっち」の時間がコンスタントに約束されている。 さぽもぼくと相当に近い屈折のしかたをしているから、この「ひとりぽっち」の時間が「本当に」無くなってしまっていつもぼくといることになったら、おそらく変な「焦燥感」に苦しむのではないかと思う。 

で考えたのだが、なにがいけないって、快適に生活できる空間が我が家には「一部屋」しかないってことが問題だとおもうの。 ひとりで集中したいとき、「人」との関わりをシャットアウトしたいとき、逃げ込む「部屋」がないってのはでかい。 実家に家族で住んでる人に、常に「茶の間」で生活しなさいっていったら相当しんどいとおもうのさ。 もし彼がほとんどの時間そこで過ごすにしても、「任意で部屋に帰れる」という安心感が底にあるのとないのとでは、まるで意味が違ってくる。 まして人一倍「ひとり」が大事だと思うぼくにとって、この状況で2年間も生存してるってこと自体奇跡だと。 考えてみると、ぼくが仲良くなれる人って必ず「ひとり」の時間を大切にするひとばかりだと思うの。 ずっと人に依存するような人は鬱陶しくってとても長続きしない。

さて、生活空間が一部屋しかない我が家、なんとかならないものかと考える。 まあ考えるもなにも、可能性があるのは居間の奥の寝室改造しかないんだけどね。 奥の寝室は現在壊れたソファーが窓際に置いてあり、夏の間つかうちゃぶ台が折り畳まれ、少しへこんだ壁面にはCD収納用の棚がぴたりと収まっていて、と、そんなところ。 畳敷きで6畳。 寝るだけに使うのは実にもったいない。 ここをもっともっと活用しないと。 ということで、今年はこの部屋を第2の生活空間として作りこむという目標ができた。 個人的にはくつろいで本を読んだり、ものを書いたりするのに適した部屋にしたいな〜。 「座りモノ」をどうするかだな、ポイントは。 畳だし。

2003-01-21-TUE

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