No.187 図書館にいった2

ぼくとさぽが起きるとすでに米沢の二人は起きていて、もう帰るという。時間は10時。 ゆうやは酒を飲んで泊まった次の日、必ず一番最初に起きて素早く帰るのだ。 もうはや頭の中では家での休日の過ごし方がプランされているんだろう。 ほんと、こういう人が周りに多い。 依存しないというか、自分の時間を大切にするというか、そういう。 で、帰る前に伸之介を一目みたいとゆうやが言うで、みんなでとしみつ宅へ。 先週同様としみつはおらず、じゅんこ嬢と伸之介のふたり。 やまきは赤ちゃんと絡むキャラではないことを完全に自覚しているので、当然車で待機。 なんだか見るたびにかわいくなる伸之介に3人メロメロのグダグダにされてしまい、フニャフニャと帰る。 で、ぼくらは家の前で降ろしてもらって、ふたりはそのまま米沢に。 今度はお花見かしら?  

さて、昨日の後片付けを手早く済ませ、遅い朝食、ひと休みしたのち、ふたり図書館へ。 ひさびさにゆっくりチボー家を読もうとおもったら、なんと会社に忘れてきたぼく。 どうしても読みたいがみんな出勤する会社に休みのぼくが顔をだすのはとんだ野暮なので、ネットで図書館にあるのを確認して借りに行くことに。 最初ひとりで行って借りてこようと思ったんだけど、準備してるうちにさぽも一緒にいきたいと思い立ったようで、ふたりで行くことに。 図書館はあるいて3分のところにあるのでとっても便利。 うちはちょっと歩けば繁華街もあるし、市役所もあるし、映画館もあるし、図書館も美術館も河川敷もあるという素晴らしい環境で、大動脈的バイパスにもすぐに出れるくせに、生活してるぶんにはその気配すら感じないというその絶妙な位置関係もすばらしい。 これは一度味わってしまうとなかなか他には住めないんじゃないかと思う。 で、お散歩気分で図書館に到着。 さっそく端末で検索してみるが、なんと「チボー家の人々」は書庫に保管されているので、カウンターで申請しなきゃいけないらしい。 しかもここにあるシリーズは、うちの5巻のでかいサイズではなく11編からなる中途半端な大きさのやつで、すなわちぼくのお目当ての第3巻がこちらでいうところの何巻に相当するのかが分からない。 さて、検索中に不思議なものを発見した。 「チボー家のジャック」という本である。 1巻で完結しているこの微妙なタイトルのこの本がすごく気になり、調べてみるとこちらは書棚にあるらしいのでさっそく見に行ってみる。 フランス文学のところにそれはあり、あとがきを見ると、なんとそれは「チボー家の人々」を年少者向けに書き直したものなのだという。 こういう形式ははじめてで、すでに読んだ場面と見比べてみると実に面白い。 すじの上での核たるエッセンスだけがうまいこと繋がっていて、全体的に分かりやすい表現に置き換わっているもんだから、原作でどちらともとれる複雑で曖昧な感情表現だったところがはたしてどっちだったのかを確かめることができる、いわゆる解説本として使えるのだ。 これは面白い。 で、それはそれとして頭にとどめ、やはり原作を手にいれなければっつって、11を5で割って大体自分の読んでるあたりだろうという巻数を割り出し、カウンターでその旨説明し、何冊かもってきてもらう。 もってきてもらった中で、一番最後の巻がまさに今ぼくが読んでいる巻だったので、それ以前の巻を戻してもらって変わりに次の巻をもってきてもらった。 うんと優しそうなおばやんで良かった。 さて、借りた2册はなんと60年も前の本で、もう今にも崩れそうなほどボロボロで、紙はやけて元の色がわからないほど。 しかも読みはじめてびっくり。 漢字がすべて、昔の漢字なのだ。 「党」は「黨」だし 「対」は「對」だし、「体」なんか「體」で、最初なにがなんだか全然わからなくて、かなり困ってしまった。 しかしそれでもがんばって読んでいると、前後の流れから大体なんなのかがつかめてきて、どうしても分からないものも数ページあとで別な使い方をされているものなんかから推理できて次第にわかってきたりと、1時間もするとすっかり当たり前に読めるようになってしまった。 かえっていつもよりピリリとした刺激が面白いくらいだ。 人間の頭ってすごいね。 こんなにすぐに順応できちゃうもんなんだね。 

3時間くらいふたりで読みふけり、閉館のアナウンスで帰宅。 今日ぼくの読んだところは、ヨーロッパ中の賢い連中が集まり、革命の議論を繰り広げているところで、次々といろんな新キャラが登場し、めくるめく政治的ディベートが展開されていくもんだから、とんでもなくむずかしくて大変だったんだけど、ヨーロッパ大戦直前の、内側の「リアル」な空気が伝わってきて実に面白い! まさにこの日、「サラエボの銃声」という日の日中に(当然この時点ではみんなそんな事件の起ることなど夢にも思わない)「/^、ロシアやドイツやフランスやオーストリアやイギリスや小アジア出のユダヤ人たちからなる、純粋な、プロレタリアの革命をひたすら真剣に考えるいろんな世代、いろんなタイプの人間のやりとり。 どんな歴史の本よりも「真実」の姿が垣間見れるのではないだろうか。 まさにこの時代をいきた作者の、水一滴も漏らさぬすさまじく正確な感情描写によって語られる時代の空気。 当時の政治の匂い。 社会におけるブルジョアジーのあり方。 様々な立場のプロレタリアートの本音。 そんな興味深い「資料」が、慣れ親しんだ世界観のなか、あのジャックの繊細な心を中心に動いていくのだ。 こんな面白いものはなかなかない。 これを書いている今もはやく読みたくて仕方がない。  で、家に帰り、日記をかいて、風呂にはいり、お腹がすいたので「ミルキーウェイ」へ。 サラダバーが食べたかった。 ぼくはプラス、チキンハンバーグにチーズがかかっているやつを食べたんだけど、なんだか美味しくなかった。 味が中途半端でまとまりなく、なんでこんなものに金はらって食ってるのかと情けなくなった。 でも最後にカフェラテ飲んで復活。 勢いでツタヤに行く。 

ツタヤで「カッコ−の巣の上で」と「テルミン」を借りて帰り、早速「カッコ−〜」を観る。 反体制をテーマに精神病棟で繰り広げられる、実にセンスのいいユーモアに溢れた作品。 かなりおもしろい。 ラストのめくるめく展開に完全に打ちのめされた。 いろいろ感想を書きたいんだけどネタバレ部分に話が集中するので控えます。 さ、連休!

2003-02-22-SAT/p>

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送