No.207 8bit世代の美意識

きょうは10時前にかえれたもんだから、すごくゆとりがある。 久々に手元に帰ってきた「メトロイドフュージョン」のクリアデータによって、ついに、GC版の「メトロイドプライム」のなかに隠された、ファミコン版「メトロイド」を覚醒させる。 「動物の森」といい、これといい、GCは初代ファミコンのエミュレーターがはいっているソフトがあって実にうれしい。 メトロイドのタイトル画面をみながら、さぽとふたりで、「やはり【ファミコン】だけ、なにか特別だ」と話した。 多々ある「ゲーム機」の中で、【ファミコン】だけは「ゲーム機のひとつ【ファミコン】」ではなく、いきなり「【ファミコン】」でしかないのだ。 そういうジャンル。 映画、漫画、スポーツ、ファミコンみたいな。 TVゲーム、ダンス、犯罪、ファミコンみたいな。  音源が少ないもんだから、どれやっても「同じ匂い」がするんだよね。 で、少ない音数、同時発音数の少なさのため、楽曲がとんでもなく洗練されきってて、そのハイクオリティなピコピコに完全にノックアウト。 「ゼビウス」なんて、ほんと、かっこいい。 同時発色数も極端に少なく、ドットも荒いゆえ、そのミニマルな美にぼくら世代はもうメロメロ。 この世代は、少なくともぼくは、ファミコンによって「マイナスの美」が身に付いたといっても過言じゃない。 馬鹿みたいに制限されたなかで考え抜いて、一切の無駄のない美。 無駄というと、「無駄こそたのしい」みたいなときにつかう「いい味の無駄」があるので語弊があるが、なんというか、「だらしない残りカス、片づけ忘れ、あげぞこ」みたいなのね。 ツーバイフォーの友達の家のドアのノブの「金色」みたいなのね。 いらないから、そんなの。

2003-03-14-FRI

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