No.223 充実休日

すごく充実した日だったなぁ。 ひさびさに骨髄までリフレッシュ。 春だし、天気良かったし、やっぱり冬は外からもらうパワーがなかったからどうしても元気がでなかったんだな。  さて、先週ずっと買えなかったキリンジの新譜を買いに昭和へでかける。 ついでに前々から注文してるがいっこうに連絡のこない、アルバムリーフの2枚はまだかと尋ねると、なんと1枚だけきているという。 金が無いが無理して買う。 one day i'll be on time(日本盤)の方だった。 で、キリンジを車で流しながらプチドライブ。 残念ながらいまいちピンとこない。 最近ピンとこないといいはじめてはや3年。 もはやそのピンとこない方向にがっちり固まりつつある。 いや、固まった。 なれっこなのでたいして落ちもせず、ふといいことを思いついた。 音楽散歩である! 暖かくなったらぜひやろうと思ってたんだ。 愛機CDMP352と大好きなアルバム数枚もって、なんともったいないことにこの清しい日の自然の「音」を完全シャットアウトしてそのかわり音楽を鳴らし、あてもなくひたすら歩く。 あくまでも音楽を聴く環境としてわざわざ歩くというのがポイントだ。 高校生が登下校にウォークマンを聴くのとはその「意志」に開きがある。 と自負する。 で、会社にまわって休日出勤の金山さんにあいさつしてCDMP352とチボー家4巻をもって帰る。 いったん家に帰ってお昼だということを知り、まずは腹ごしらえと、チボー家もってシトロンへ。 もちろんすでに音楽散歩は始まっている。 が、これ、ぼくのご自慢のER-6(ヘッドフォン)の凄まじい遮音性によって外の音がまったく聞こえないもんだから、かなり危ない。 ふら〜っと車道のほうによってっちゃったりすると、死ぬ。 だのですごく気をつかって歩かなくちゃいけないぞ、と、肝にめいじる。 

シトロンではまよわずカツカレー。 チボー家はジャックがジェンニーにプロレタリアの実体を啓蒙するシーン。 ブルジョワ育ちのジェンニーは、はじめて知る世の中の惨状に顔を赤くする。 知らなかっただけで、革命家の素養をしっかりともった彼女はみるみるジャックの話を吸収していく。 その目の光からジャックもそれをさとり、すばらしい信頼関係がうまれる。 ジャックの言葉ですごく共感できて感動したところがあったので以下に引用します。 話の流れとしては、革命によって解放された労働者は、最初はきわめて利己的な、下等な欲望に飛びつくにちがいない。それはあきらめなければならない、といった話で、引用文はその後の言葉。 

「不幸にしてわれらは、次の必然を認めなければならない。 すなわち、風俗上の革命は、制度上の革命よりもずっとおくれるものだという事実を。 だが、われらは、人間というものを疑ってはならない。 そうだ、それを疑う権利はない。 なるほど人間にはずいぶんいやなところもある。 だがぼくは、それは大部分、現在の社会の結果であると信じ、また信じたい…… 悲観説とたたかうんだ。 そして人間を信じ得るところまでやっていくんだ! 人間には、偉大なほうへ向かおうという、隠れた、抜くべからざるあこがれがある。 いや、必ずそれがあるはずなんだ…… そうした灰に埋った火だねの上に、たえず気ながに息を吹きかけ、それをかき立て……いつの日にか、それを燃えあがらせなければならないのだ!」

おなかいっぱいでうんこがしたくなって、はじめてのシトロンうんこ。 客はぼくしかいないという嫌なタイミングだったので、うんこバレバレ。 しかもしゃがんですぐに、すげーきたねー一発をかましてしまった。 恥ずかしさでうんと興奮する。  さて、店を出てすぐに音楽散歩再開。 曲は買ってきたばかりのアルバムリーフ。 アルバムリーフは、サンディエゴのインストゥルメンタルバンド「トリステザ」の中心メンバー、ジミー・ラヴェルのソロ名義。 音はフィールド録音による環境SEやら浮遊感のあるギター、キーボード、曲によってははじけたドラムによる、アンビエントエクスペリメンタルでかなりかっこいい。 しみじみうっとりどきどきがちーん。 これが、歩きながら聴くのにこれほど適した音楽はないってぐらい、この音楽散歩にがっつりはまり、アドレナリンでまくりの恍惚状態で4時間ぐらい河原沿いを散歩しつくしてしまった。 ダンサーインザダークのビョーク状態で、周りのいろんなものと非現実的な交わりかたをし、すごい不思議体験だったの。 もう、泣いても泣いても足りないぐらいのとてつもない感動に身をまかせて、端からみたら確実にキチガイだと思われるようなトリッキーな動きをしていた(いつのまにここに来ていて、なぜこんなところが泥だらけなんだというような結果からの推理)と思う。 河原に設置されている、石でできたいろんな動物のオブジェが妙に印象的で、その存在が音と解け合って、なんと彼らひとりひとりの生い立ちやら名前やら思念やらが次々にぼくのあたまの中にはいってきたのだ。 夢と現実のギリギリのところで自然に完全に身を任せきった結果、こんなに気持ちいい素晴らしい体験が出来てしまった。 もうぼくはこの音楽散歩の虜である。 がんじゃなんか吸ってる場合じゃないぞ、ほんと。 これのが1000倍トランスできるよ、ほんと。 あの状態で腹とか刺されても、みるみる傷がふさがったと思うもん。 ほんとのほんとに。 それくらい「存在」にたいする絶対的自信に体中のつぶつぶがあふれていたの。  あ〜〜〜〜〜〜、すごかった!!! ほんとにすごかった!!! 馬見ヶ崎の河川敷恐るべし!! アルバムリーフ恐るべし!!! 小春日和の自然力恐るべし!!!

興奮しすぎてふらふらになりながら帰路につく。 CDをマイスパレードのモクーンディ(ここ2年間、この世でいちばんかっこいい音楽だとぼくは思っている)に替える。 やべー。 やっぱりすごすぎる。 禁断の音楽だよ、これは。 人間がここまで高いレベルの快感を手にしてはいけないんじゃないかと本気で恐ろしくなるくらいすげー。 しかも今日こんなときに聴いちゃったらもう。 今まで気付かなかった新たな素晴らしさを再発見し、またしてもキチガイモード突入。 とても家にまっすぐは帰れず、駐車場にいき、自分の車にはいって椅子をたおして音に浸る。 春の日差しで心地よく暖められた車内が最高に気持ちいい。  ああ。  最近うんとしんどかった、そのご褒美にちがいない、今日は。 こんな幸せな時間があるのなら、どんなにくるしくてもぼくは生き続けるな、ほんと。   うとうとしてきたので車をでて家に戻る。

夕方。 さぽを迎えにいき、その足で買い物をすませる。 cook81という食材屋にピザをきるあのコロコロを買いに行くが、さぽのお気に召さず保留。 飲む寒天とかいう変なジュースにふたり興味をもち、それだけ買って帰る。 なんだこの客は。 で、最近ふたりして鰻が食べたいといってたので、休みだし、「染太」にいってみることにした。 で、お味の感想。 山形では鰻といえばここらしいんだけど、ぼくはいまいちピンとこなかった。 スーパーの鰻と大差なかったと思う。 米沢で去年食べた鰻が強烈に美味しくて、専門店でたべるとここまで違うのかと感動し、それを期待していったのだがどうも期待はずれだった。 食べたのが安い方のメニューだったからだと思いたいが、どうも店の感じとか、ほかにもなんでもかんでもメニューがある(カレーやらハンバーグやら)とこからして、それほど鰻にこだわりはないんじゃないかとどうしても思ってしまった。

で、夜は日記をなまけて、そのぶんうんと遊ばせていただきました。 もう今日は大満足!!! 気分がいい!!!

2003-03-30-SUN

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