No.254 現実は小説よりも

お金が無くなると宙からお金がふってきたり、食べたいとおもってるとまさにそれがでてきたりと、なにかとプチ不思議体験が多いぼくら。 もはやオカルトと現実の境目はなく、思念がもつ実際的なチカラは完全に認めつつあるぼくら。 そのぼくたちの身に、またしてもすごい出来事がおこった。

夜、夕食もすんでまったりとして、お風呂をわかしたってんでその隙に洗い物をしようとさぽがグラスを持った瞬間、ちょっとした拍子でグラスが倒れ、大した衝撃でも無い感じなのに、グラスが割れてしまった。 ほんとに、落としたとか、固いモノにぶつかったとかでもなく、ちょっところんだぐらいの衝撃で、今までどんな衝撃にも耐えてきた分厚いガラスのタフガイが、意外なほどあっさりと砕けてしまった。  ぼくんちの食器は、どれもこれも小さい頃から食器に尋常でない愛をそそいできたさぽの、その鍛え抜かれた審美眼でもってちょっとずつ集められ、そして現在までふるい落とされずに残ってきた、ものすごくかわいくて素敵なものばかりで、ぼくもほんとに大好きなものが多いんだけど、このグラスはさぽが3年前にペアで買ってきてくれたものすごくお気に入りのグラスで、その吹きガラスのシンプルさ、無骨さ、使い心地の良さに、ぼくは心底ベタ惚れだったのだ。 冷たいモノを冷たいモノとしてゴクゴク飲むのには最適で、結構でかいから氷をごしゃごしゃいれても大丈夫で、表面の微妙な面(くるくる回すときにドロドロガラスが流れた後をわざとそのまま残してあるのだそうだ)によってできる背景の屈折も絶妙で、なにより底のどっしりとした厚みが大好きだった。 今までみたガラスのコップのなかで、ダントツで大好きだった。  それが割れてしまった。  もちろんもうひとつ残ってはいるんだけど、ふたつなかったら意味がない。 食卓にこれがひとつしかないなんてことは考えられない。 もうふたりして大ショックで、しばらく落ち込んでいた。  これを買った「アウロス」というお店は今はもう無く、作家さんの名前もかろうじて覚えてはいるようだけど、なにせ一個一個手作りだから似たようなのを探すには残った一個を持っていってじっくり見比べなきゃいけなくて、そんな選ぶほど品数があるであろう店は東京にでもいくしかない。 いってもそれがあるという保障もない。  悲しい。 ものすごく悲しい。 あんなにふたりして大好きだったのに… 

すると、ついさっき(リアルなさっき)、さぽから狂喜の電話がはいった。 なんと。 なんとだ!  さぽが無印で働いていると、ちょいとナイスなおばやんがTシャツのサイズについて聞いてきたのだが、そのおばやん、どうも見たことがある。 あ! アウロス(いまはなきグラスを買った店)のオーナーだ! なんという偶然、さぽが話しかけるとむこうも「さっちゃん」として覚えていてくれた。 そして悲しいグラスの話をしたところ、アウロスさん「ちょっと!あなたすごいわ!」と大興奮! なんとなんとアウロスさん、きたる7月3日から市内某所にて、ガラス作家安土忠久さん(まさに!ぼくらの大好きなそのグラスを作ったその人!)の「吹きガラスの器展」を催すところなのだという!! なんという、なんという偶然!!!  昨日の今日である!!  昨日の今日で、閉店後初めての再会で、まさに割れたグラスの作家の器展である!! どうなってんだ?? 予定されていたとしか考えられない。 割れ方だってあまりにも不自然だったし。 なんなんだろうか??  宇宙ってなんだろうか??  こんなことが起こると、世界ってのが、すべての因果ってのが、おもいのほか身近な、ぼくらの心とぴったりと密着したもののように思えてならない。 すべての物理制約を超えて、万物につながる絶対的な波動みたいなモノを感ぜずにはいられない。  想いがつよいから世界が共鳴するのか、あるいは予定された世界の響きが想いを増幅させるのか… 虫の知らせ、親友どうしのブームの同時多発、いろんな不思議なことが、どうも同じような匂いでもって「宇宙の実体」のようなものをちょっとずつ覗かせてくれるようだ。 鳥肌が立ってきた。 ものすごくうれしい鳥肌が。 

2003-04-30-WED

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