No.270 シカゴ!

ついに、ようやっと、シカゴを見れた! ひさびさの週末レイトショーinソラリス。 こそーり会社を抜け出して、ちょっと早めにでかける。 チケットを買って、コンビニでサンドイッチだの買って、2F窓際のテーブルと椅子の用意してある小休憩コーナーで簡単な夕食。 で、シカゴ。

あまりにも期待していったせいか、はじまって30分くらい、こんなもんか、というのが正直な感想。 現実とミュージカルのオーバーラップは確かにおもしろいんだけど、これだったらダンサーインザダークのような「はいりかた」のほうがぐっとくるとおもった。 ずっとこの調子だったら、話がどんな風に展開したとしても、急激に「おもしろい!!!」なんてことにはなりようがないなぁ、なんてちょっと早くもがっかりしてた。 ところが! なんというか、ミュージカル映画ってのは、じわじわと効いてくるらしいのだ。 ボディーブローのように、いつのまにかじわじわとダメージが蓄積され、きづいたときには目立った一発もなくKOされていた。 このフォーマットに慣れてないぼくは、おそらく無意識に変な姿勢で変な紙袋をかぶって見ていたのだ。 どおりでいまいちはいってこないわけだ。 ところがある程度の時間このやりくちにさらされ、それが当たり前になってきた頃から、なにかわからないけど奥底から沸き起こる、なんともいえない強大な幸福感に包み込まれたのだ。 ぱっとしないどころか、もはやぼくはミュージカル以外観れないのではないかというくらい、このフォーマットにずっぽりはまってしまった。 劇中に「劇場で立ち上がって『火事だーー!』と叫べば、みんなが注目する」みたいな台詞だか歌詞だかがあって、それを見たら自分もそれをやってみたくってウズウズしてしまって、たまらなくなって、でもぼくはヘタレなので現実ではできず、頭の中で想像でそれをやってみた。 そしたらなんとなんと、まわりの観客がじつはみんなダンサーで、ぼくの叫びを合図に劇場が一転してミュージカルのステージに様変わり、ビッグバンドのジャズが軽快に鳴り響き、壁に隠されていた電飾が現れ、無数のライトが輝き、そうして歌とダンスがはじまった。 となりにいた中年の夫婦も、後ろにいた若いカップルも、みんなビカビカギラギラした服でものすごく楽しそうに踊りだし、ぼくとさぽは驚いてうれしくて楽しくてあんまり幸せで、死んでしまうかと思った、という白昼夢を見た。 はっと我に帰っても、スクリーンではそれと大して変わらない世界が繰り広げられていて、とにかくぼくは今、現実とはかけはなれた夢の世界のまっただ中なんだなぁ、と、ほんとにフワフワと気持ちがいい。 観ていて思ったのだが、こういうミュージカル映画って、現実の合間合間に、登場人物の内面とか本心とか夢とかが表現されるじゃない? ぼくら観ている人間にそれはつたわるけど隣にさっきまで(夢想がはじまるまで)いた人にはそれはわからないような情報が教えてもらえたりするじゃない? これってまさに「文学」の特徴だとおもったの。 普通の映像モノではなし得ない、キャラクターの内面描写、主人公の心のなか、あるいはト書き、漫画でいったらモコモコ吹出し、それに相当する情報がまさにそれと同じように話の中に溶け込んで、時系列もくずさずに綺麗に表現されている! 映像であって小説的な可能性がある、映画とも独立したかなり特殊なジャンルだなとおもったの。 いやいや、ほんとに面白い。

大満足のラストを迎え、気持ちよく殺人が肯定され、スタッフロール。 で、感覚が敏感になって完全に躁状態のぼく、新しい遊びを思い付いてしまった! 小さい頃橋の上から川の流れを見て、川ではなく自分が、橋が、世界が動いているように感じて遊ぶってのが大好きで、よくやっていた。 あれってじ〜っと流れを見ていると、あるときふっと入れ代わって自分が動きだして、それがなんともいえない快感なんだけど、それをスタッフロールの流れでやってみたの。 なんで今まで思い付かなかったんだろうってぐらい最適な環境。 最初目が慣れなくて、なかなか動き出さなかったんだけど、スクリーン上端、文字が切れるとこらへんにちょっと焦点をゆるくして視線を置いておいたら、きた!! 暗い劇場がゆっくりと下に降り始めた!! すごい!! いったいこれからぼくらはどこに連れていかれるんだろうというたまらないワクワク感につつまれて、ぼくはどこまでもどこまでも下へ降りていった。   …この巨大なエレベータ−の前面にある大きな窓からは、外の壁に描かれたオレンジに光るアルファベットの列が見えて、上にすべっていくその様は、まるで映画のスタッフロールを見ているようだ…

2003-05-16-FRI

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送