No.289 ブッサ、ブッサ、トペルクタガガインブッサ…

異常に注意力のない人とか、モノの善し悪しがどうも分かんない人とか、よーするに話してて「この人はもうどこまでも通じないな」と相手におもわせちゃう人ってのは、「安物のヘッドフォン」みたいだなーと思った。 「チャッス、チャッス、チャッス……」「チッフ、チッフ、チッフ……」「テッフォ、テッフォ、テッフォ……」といった、いろんなニュアンスをもつハイハットを刻む音が、悪いヘッドフォン、スピーカーではすべて「チッチッチッ……」だし、アタック音までの弦の遊びの音や空気の響きを含んだ「ガステクドガイ〜〜ン……ブサ」という深いベースの音も、ただの「ベーーーン」。 いろんな倍音を含んで、「カリカリ」した表情色濃いピアノの音も、例えば中域だけかまぼこ上に「ボイーーーーン」。 はたまた安易なドンシャリで「ガキーーン」。 よいヘッドフォンは、そのレンジも広ければ、解像度も高く、それぞれの帯域のバランスどり、その味付けまでもが美しい。 同様にすてきで面白い愛すべきひとってのは、知識、興味の幅はもちろん広く深く、そえこそ顕微鏡のような洞察力・鑑定眼をもち、そのバランスが絶妙で、自らの生活の演出にも味がある。

なんでこんな小学生みたいな直喩を急にいいたくなったかというと、最近仕事において、「なんでこのダメさが一撃でわからないんだ? いや、一撃どころかいわれてもわかんないんだ? いやそれどころか比べても悪い方を選ぶんだ?」ってことが多々あって、結局これまでの人生において、何かにふれたときの「丁寧さ」や「愛情」が足らなかったせいで、瞬間瞬間の顕微鏡の倍率、解像度が極端に低いんだろうなぁという風に感じてたところに、今日、同じCD、同じプレイヤーに、性能の違うふたつのヘッドフォンを使って聴き比べる機会があって、そのあまりの差に愕然としたからなの。 タイムリーに、とくに「解像度」ということを気にしちゃったの。 悪いヘッドフォンで聴いた音楽は、ほんっとに平坦な、実在感のない記号みたいなもので、なんだろ、これで聴いて「いい」とか「わるい」とかっていうのは、単にメロディーの展開がとかリズムがとかノリだとか、そういう一見「それこそ曲の柱となる重要なところだろう」というようなところだけに限定されてしまい、細かいニュアンス、空気感みたいなモノが一切無視された「あらすじ」みたいな情報にすぎず、それで判断するのは作り手に失礼なばかりか、なにより本人が大損であるとおもう。 絵画を生でみるのと印刷でみるのとでは、埋めることの出来ないとてつもない「根本的違い」があるけれど、音楽ってちょっと異質で、再生環境によっては生よりも「生」を味わうことができるとおもうの。 特にヘッドフォンて、比較的安価でビックリするような高音質を手に入れることができるから、ぼくみたいな貧乏人が音楽を「ちゃんと」聴きたいといったときにはほんとにありがたい。 絵画でいったら、「マジックメガネ」みたいなもので印刷物をみると、まるで美術館で本物をみている体験ができるみたいなもんだからね。  話がそれたが、つまり、モノの見え方が雑で面白くない人ってのは、常に悪い音で「あらすじ」だけ理解して満足しちゃってる人なんだろうなっておもったの。 本をよんでも微妙な言い回しとか場面転換の違和感とか意図的な会話の温度差なんかに反応できず、ただ「ごちゃごちゃ変でおもしろっぽかった」ぐらいで、与えられた受け取りやすいスケールそのままでしか対象物を扱うことが出来ず、能動的に、自由自在に倍率を上げて微分していくことが出来ないんだろうなと。 星空をみて「いや〜ん、きれい〜」で終わってる人はゴマンといるが、目の奧に内蔵された8,600,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000倍のウルトラスコープで別銀河のプランクトンの形状の妙に涙する人ってのは滅多におらず、そういう人ってのが、やっぱりイカしているんだよな。 ウルトラスコープのスイッチ切ればふつうに星空「いや〜ん、きれい〜」も分かるから別に偏ってるわけでもないし。  とにかく「ブッサ、ブッサ、トペルクタガガインブッサ…」が「ベン、ベン、カッツブッサ」ではあまりにも勿体ないだろーって話。

2003-06-04-WED

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