No.306 アクシデント=かみさま

ほんとは休みだったのに、午前中だけ工場の方に出勤しなきゃいけなくなった。 全員。 ISO9001の移行審査および14001認証取得の説明会みたいなことをするのだそうだ。 ISOてのは御存じの通り国際標準化機構で、普通はネジの規格とかフィルムの感光度の規格とかキャッシュカードの寸法の規格とか、そういう「モノ」の規格を世界で標準化するものなんだけど、9000シリーズ、14000シリーズてのは企業の「システム」の標準化なのだ。 で、これらの規格を基準にした監査・審査による「認証」制度なのだ。 うちの会社は9000を取得してて、それによって社会的信用をあげてたわけだが、なにやら9000シリーズの規格にはいろいろ不都合な点が多かったらしく、近年そういう声を踏まえて改訂がおこなわれ、ISO9000:2000年版への移行審査をうけなけらばならなくなったのだそうだ。 さらに新たに14000(企業が取り組む環境マネジメントの標準化。ようするに企業がアウトプットする副産物によってアメニティが悪化するのを9000のシステムと合わせてなるたけ抑えて地球を守ろうぜという立派な、しかしちょっと分かりづらい規格)もとりましょうぜというっことで、今日の集まり。  最初はなんのこったかわかんなくてなんでこんなの聞きに休みつぶしてまで末端社員がうんぬんかんぬんとおもっていたけど、説明をきいて以上のアウトラインと日本の実情なんかをきいているうちに、お勉強大好きの血が騒ぎだして、面白くなって興奮してきて、それをヒントにいろんな考えが頭にうかんできた。 ぼくらの部署の仕事ってのはほんとに「生もの」と対峙して、その都度即興演奏のように自分のストックをペーストコラージュしてっていう作業が主なので、はっきりいって今日きいた「標準化」に関係するところってのは最終的なアウトプットの統一ぐらいしかない。 なにせ「規格外」の客中心の創造なんだから。  だので頭の中では講議のなかで出てきた「人間はインプットは得意だがアウトプットが苦手だ」というものから発展して、次のようなことを考えていた。

ぼくは最近、「新しいものを作り出す」とはいったいどういうことなのかを考えていた。 人は常に苦しんでいろいろ新しい発想を生み出して、どんどん進化していくわけだが、そもそも人間の体の中から「新しいもの」が生まれるわけではないとおもうのだ。 「新しいもの」というのは「今まで無かったもの」であり、自分の中になかったものをアウトプットできるはずがないと。 じゃ、なんで次々にびっくりするような新しいものがいろんなところで生み出されるかといったら、それは「アクシデント」からでしかないとおもう。 つまり、面白いこと、新しいことを生み出せる人っていうのは、まず下地として色んな情報がインプットされてて、しかもこまめに丁寧にアウトプットすることによって、その知識なり観念なりがしっかりと自分のものとなって、自由に他のモノと結び付けて考えることで脳内での情報伝達のバイパスが太く、多くなっていて、いわゆるアンテナが無意識に無数にたっている状態なのだとおもうの。 高感度のアンテナが。 しかしそれだけではまだ「新しいもの」を生み出すことにはならない。  さて、なにか、たとえば創作活動というようなことをしているときに、当然その行程で予期せぬアクシデントというのが起りうる。 絵の具をこぼした、ボタンをおし間違えた、役者がころんだ、違う音を出した、割れた、雨がふってきた、聴きはじめるタイミングがずれた、壊れた、逆さに見た、光った、などなど。 このとき、下地ができてるひとってのは、そのアクシデントの中にとてつもない「景色」を感じることができるのだ。 自分の操作の枠をこえた新しい感触を見のがさずにキャッチできる。 つまりこれが世に言う「創造の神様がおりてきた」瞬間である。 そしてそれをどうやって具現化して一瞬感じた景色をおもてにひっぱりだすかってのが身につけた「ノウハウ」だったり「技術」だったりするわけだと。 だから「ノウハウ」しかない、神様を見出せない人、アクシデントを利用できない人がつくるものってのは、慣例の踏襲とか、しょーもない「真似事」の域をでず、面白く無い。  創作にかぎらず、日常のやりとりでも、リアルタイムでそういうアクシデントのキラキラを逃さずキャッチできる人ってのが一緒にいて面白い。  カクテルパーティー現象ってのがあるじゃない? 大勢人がいてざわざわがやがやしてる中でも、自分の名前だけは何故だか「聞こえる」っていう。 つまりあれだよね。  知ってれば知ってるだけ、さらに興味をもってればもっと、アウトプットしてリインプットして解釈が深まればさらにさらに! いろんなことが聞こえてくる。見えてくる。 しかもいろんな角度で!  そしてひとつひとつの事柄がそれで完結するわけでは無く、互いに関連しあってどんどんまわりながら上昇(スパイラルアップ)していくから、じぶんでもびっくりするような面白いことに頭の中が育っていく。  そうするとアクシデントを自分で誘発することとかも次第に操作出来るようになっていくから人間てすごい。 「地運」と「天運」をうまく使えるようになる。 麻雀をちょっとでもやった人ならこの感覚はものすごくわかるとおもう。 自力でひっぱってきた運のなかに、自分の外の力、本物の運の一瞬の輝きを見い出して、あとはそいつを間違い無く捕まえて逃がさない。 一度捕まえたららその運はそう簡単には離れていかない。 この流れにのってるときというのは自分でも説明がつかない。 なんだか知らないけどすべて思いどおりにいくのだから。  ビリヤードをしててもこの感覚は味わえたっけ。 いつもはものすごく慎重に厚みをはかって撞点を考えて、強さを考えて、それでもミスするのに、一度神様をつかまえると何も考えなくても全てうまいこといく。 もう撞くまえから入ることを「知っている」というような「全能感」にあふれている。 なんら疑う余地なく、「ツモれること」「入ること」がわかっている。  いや、話がそれたけど、とにかく、誠実に下地をつくると自分以外の「力」も頻繁にお借りすることが出来るようになって、人生数倍楽しいよという話。 嘘のようでいて、しかしだれの現実にも隣り合わせの結構普通の話。

夜、前々から楽しみにしていた「過去のない男」をさぽとふたりでフォーラムに見に行った。 こんなに面白そうな映画の初日だってのに、客は6人くらいしかいない。 どうなってんだ?世の中。  で、期待どおりの面白さ!!!  すごい!!!  良質な日本映画のおもしろさ。 なんというか、伊丹とかタケシに通じる、独特の「マ」。  ずっとこの世界に浸っていたいと思わせる、愛おしい世界。 特に派手なことがおこるわけでもものすごい発想があるわけでもないんだけど、この空気はたまらない。 笑えるひとは終始とても上質な笑いで体がよじれることになる系。 この表現でピンとくるひとは楽しめるし、ピンと来ない人は別に面白くないという感じの、とても面白い映画。

2003-06-21-SAT

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