No.313 敏子がきた!!!

今日はなんと! 山形に敏子がやってきた!! 岡本敏子が!! 芸工でいま、世界初の暴力的試みに挑戦した岡本太郎写真展をやっていて、それにあわせて対談「岡本太郎と私」と題して、なんと赤坂さん(民俗学のね)とふたりで敏子が!!! すごい!!! ぼくはテレビで何度か見た敏子のあの「人間」にものっすごく感動して、それによって岡本太郎のすごさへの理解が深まったというくらい、敏子が大好きだ。 といってもあまり二人の詳しいことは実はよく知らないのだが、しかしぼくの中であの二人はかなり「すばらしくきれいなもの」として確信している。 間違いなく「目指すべきもの」だとおもっている。 ぼくやさぽが感じているジレンマや幸せを、あのひとらは同じベクトルで、さらにさらに深いところで感じていて、あのひとっつも嘘のない魂による愛にあふれた毒舌をきいた日には、もうこころもからだもとろけてしまいそうになる。 ほんとにステキだ。  その敏子がやってくる。  ぼくは昼休みもとらず、1時までまるで電通のばりばり君のような奇跡的な動きで仕事を一段落、脳がぶりぶり震えてくるほどの興奮状態で、そのまま会社をでてさぽをひろい、芸工へ。 うちの会社は表面的には「いきたい講習があったらどんどんいってレベルアップしなさい」とはいっているが、実質的にそんなことはゆるされない。 仕事がみっちり全員につまっているなかで、ひとりがそんな動きをとったら単に誰かに迷惑をかけるだけで、会社がいくらいいといってもべつにそういうシステムがあるわけでないかぎり、自分でなんとか時間をつくり、人に迷惑もかけず、しかも外出することによって他の人に「架空のしわ寄せ感」も感じさせないようにする細かな工夫をしなきゃいけない。 それは物凄いパワーをつかい、かなり難しいことで、結局講習になんていけないのが現実なのだが、今回だけはなんとしてでもいきたかったから死ぬ思いでがんばった。

芸工。 201講義室。 前から4列めくらいのまん中にふたり陣取る。 一列前の撮影席には芸工で友達だったけんたがいた。 芸工専属のフリーのカメラマンをやっているらしい。 毎日こういうことにふれられているってのは、仕事の内容がどうであれぼくとしては相当うらやましいことだ。  さて、敏子と赤坂さんがやってきた。 赤坂さんはよくココスで見かけるのでめずらしくないが、あいかわらず極上にセクシーだ。 そして敏子。 あのね、80近いなんて誰も信じられないほど「綺麗」でびびった。 ほんとにすごい。 ばあちゃんの綺麗というのでなく、ちゃんと女としてものすごく魅力的なのだ。 嘘みたいにスタイルがよく、姿勢もとってもきれいで、スカートからのびる足なんて20代をおもわせる。 そしてその動き、表情、声、態度、なんだこの人は!  みているだけで涙がでてくるほどの「うれしい」存在。 すごいとはおもっていたが、ここまでとは!  椅子がもうけられていて、ふたりはテーブルをはさんで向かい合いながら斜に会場の方にむいているという形なんだけど、敏子はしゃべりだすと自然に立ち上がって、もう体全体をつかって話し出す。 その動き、その無邪気、その知性、あの目つき、だれもが太郎を感じたはずである。 あれだけ常に一緒にいると、やはり人は似てくるんだ。 それは学生時代の仲良し同士や、ぼくとさぽなんかをみてもわかる。 口調や考え方の傾向、全体的な態度というのは長い時間いた人、特に影響力のある人間に寄っていくものだ。 テレビでみたあの太郎が、そのまま敏子に乗り移って話しているのかしらというぐらい、ほんとにそっくりなの。 あの「かっ」と目をひらいたときの、鋭くて好奇心に満ちあふれた感じなんかほんとにそっくり! そしてこの人、人を指差す。 一番前の席に、今回写真を現像したカメラマンの内藤さんがすわっていたんだけど、話しをふるときにびしっと指差す。 それが実にいい。 普通指なんか指しちゃだめなんだろうけど、この人のは何故かいい。 なんでかわからない。  で、最初に今回の写真展は「暴力的な試み」といったけど、一体なにが暴力的なのかというと、普通故人の未現像(まあ未現像に限らずだけども)のフィルムを他人が現像するなんてときには、ちゃんとフィルムに忠実に、極端なことはせず、もちろんノートリミングで焼くのが当たり前なのだそうなんだけど、今回は、内藤さんの感覚で、写真の魅力を、太郎の感覚を、最大限にひきだすべく、「ものっすごくいじりまくっちゃおう!」ということをやっちゃったのだ! このことを、みんな、口をそろえて「暴力的」といっていたのだ。 真っ暗でなにも見えない部屋の写真も、ものすごく明るくすることで、実は人が移っていたりといった、そういうことを徹底的にやっていったのだそうだ。 内藤さんはしゃべりだしたらとまらない、うんと無邪気でかわいいじいちゃんで、この3ヶ月、暗室にこもり、風呂にもはいらず夢中で太郎と格闘していたのだ。 おかげで内藤さんは体が臭くてすっぱくなってしまい、赤坂さんも敏子も何回も内藤さんを臭くてすっぱいといっていた。 内藤さんは太郎の写真をほんとにすごいといっていて、この写真を撮れた時、太郎の脳は「ものっすごい早さで回転していたんだ」としきりにいっていて、その「感覚のスピード感」においていかれないように、むしろそれを上回るスピードで焼いていかないと太郎の感覚は再現できないと、その本当の意味での「コラボレーション」をぼくらにリアルに話してくれた。 ぼくはそれをきいてこんなことを考えた。  ふとしたきっかけで頭がものすごい勢いで回転し出した時、つまり思考もそうなのだが、あらゆる感覚のスピードがとんでもなくあがる。 目でとらえる情報量も、普段とは比べ物にならないくらいの解像度(時間的にも空間的にも)で認識し、それを受け取りあらゆる記憶と混ぜ合わせてアウトプットするときの処理も圧倒的スピードかつ正確(というのもスピードがすごいから確認のフィードバックも何回もできちゃうのだとおもおう)で、さらにそれを運動に変換する行程(運動神経の伝達速度、筋肉の動きまですべて)もものすごく早く正確なのだとおもう。  だから、何万分の1秒という瞬間も逃さず捕らえられる。 そしてちょっとした「予知」がなければ、認識からシャッターを押すところまでのタイムラグ、また、カメラの機構上のタイムラグはカバーできない。 しかし、「ほんの一瞬の予知」というのも、回転のスピードによる現実的な結果だとおもう。 というのは、ある程度生きていれば経験によって、ほんの一瞬先のあらゆるものの「動き」というのは大体予想がつくもので、落下するもの、上昇するもの、人として可能な動き、風、波、光のゆれ、すべて、大原則にのっとっているわけなのだから、全てをとらえて処理するスピードがはやければ「予知」は可能だとおもうの。  すると、ぼくが前にいっていた「麻雀」の説明できないツキの流れや、ビリヤードの「のった」状態というのも全てこれで説明がつくんではないか??  ようするにあまりにも頭が勝手に早く回転しちゃってるもんだから、自分の表層の心理、認識はそれを意識できず、なんでか知らないけどすべてうまくいくように見えてしまう。ということなんじゃないかと。 ほんとは頭はいろんな経験による取捨選択、計算をほとんど自動筆記状態で行っていて、それによる当然の結果が「神憑かり的」にうつってしまう。 本を読んでいて、信じられないほどすべてが頭にはいってくる、というときがある。 普段とは比べ物にならないほどの理解の質、スピード、クリアさを体感している時、ぼくはもう幸福感でいっぱいになる。 で、このときに例えば麻雀をすればいわゆる「ついている」状態になり、ビリヤードをすれば何も考えなくても全部はいる状態であり、写真をとれば太郎レベルの写真がとれ、バッターボックスにたてばメジャーリーガーからホームランを打ててしまうんだと思う。 これについては実証するまでもなく「確信」できた気がする。 まぁ筋力的にとかいう外側の物理的不足はカバーできないだろうけど、「実現不可能ではないこと」ならたいがい出来てしまうとおもう。 内藤さんの話をきいていて、ババババっとつながった。

いや、対談のことをいろいろほんとはかきたかったんだけど、冗談みたいに長くなって、せっかくの一日の休みがつぶれてしまいそうなので、ここらで我慢します。 なんかのってしまって、やめないとどこまでも書いていたい気分です。  で、実はぼくらまだ、その写真を見ていないの。 対談のあと、すぐに会社にもどって仕事をしなきゃいけなくて、泣く泣く帰ってきたのでした。 敏子と一緒に写真を見ながらお話するっていう夢のような企画があったってのに!!!   だので、日曜の今日(リアル)、これからふたりでウキウキで見に行くのです。 うひゃ!  ところで内藤さんの現像には、敏子も赤坂さんも大絶賛! 写真家生命をかけての大仕事に、写真オタク内藤は見事打ち勝ったのである!!  あと、かけなかったけど、対談は終始「最高!!!!!!」でした。 微塵のうそもいやらしさも誤解も自意識もない、「完璧な空間」をぼくらは見てしまいました。 もう、心がうち震えました。 ぼくもさぽも涙をながして、敏子の「大自然」のような様に釘付けでした。 そして赤坂さんの美しい知性、すばらしいものをすばらしいときちんととらえる心に勃起しっぱなしでした。 あの人、あんなやわらかく繊細な性質なのに、司会をさせても超一流でびっくり。 あんなに気持ちいい、自然な、なにかにのっかってない進行を生まれてはじめてみた。 もう大好きだ、みんな。  

2003-06-28-SAT

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