No.393 蘇生

下手したらこの堕ちペースに陶酔してそのまま死にかねないほどの近年稀にみる世の中不信。 そんななか、夢のような救いの手が。 カンバセイションピース。 何ヶ月も前からものすごく楽しみにしてて、8月頭に買って、でも忙しくて忙しくていっぱいいっぱいでこんな心の状況では読むのはもったいないと保留してたんだけど、最近工場で仕事をしてるからお昼やすみの時間、知り合いもいないしネットもみれないしやることがなかったのでこれはちょうどいいと持っていって読んだの。 いちど新幹線で30ページくらい読んだんだけど、もういちど波に乗るために最初から読みなおしたの。  すげー。  ぼくだけの、ぼく固有の記憶だとおもっていた「ある幸福なシチュエーション」を、この人は、この保坂は、ずびっとピンポイントで完璧な表現でもって再現してくれる。 その表現の仕方が、レベルが、もう人間の域を越えていて、とてつもない誠実さ、正しさ、美しさでもって小説を書いているこの人そのものの存在と行動にぼくは震えが止まらないほど大感動してしまい、うれしくて、むくわれて、すくわれて、なぐさめられて、ほめられて、はげまされて、よろこばれて、みられていて、しられていて、すかれていて、おうえんされてさえいるような気持ちになってしまい、とにかく、昨日とはまるで反対の、ちょうど反対のものにふれた感じで、体中がよろこびで満たされて、うんこのなかには音楽がつまっていて、洗い流されたうんこのすきまから夢のような音楽がもれだし、それがぼくの体のまわりに鎧のように何層にもなってまもるようにかさなって、安心と正義を手にし、ぺたりと足が地面について、すくわれた。 まわりのすべてのものが間違い、狂い、腐り、日和り、いっせいに襲い掛かってきたとしても、この書物一冊あればぼくは大丈夫だと心からおもった。 なにがそんなにもとてつもないレベルの誠実さや正しさや美しさを感じさせるのだろうと考えた時、この人は他に例がないくらい「自分の目で世界を見ようとしている」のだとおもった。 ほとんどの人(かなりいい線いってる人だって)が、どうしても最終的には(微分に微分を重ねた結果)借り物の価値観のコピーペーストで物事を考えている中、この人だけは、どこまでも妥協しないでとにかく自分の言葉で納得がいくまで対象となる現象をつきつめる。 とことん「自分自身」で世界をとらえたがっている。 その欲望にどこまでも忠実なのだ。 さらにそれでいて小説になるようにすさまじい試行錯誤をくり返し、結果小説に仕立てきれている。 行為そのものはいわゆる「哲学」に定義されるところのものだけど、だれにもわかる言葉でもって完璧に小説にしちゃえるところまで自分を鍛えたことがすごい。 いない。  とんでもない人間がいた。 この人がものを考えることが可能な限り、ぼくは生き続けるモチベーションがある。 すくわれた。 

2003-09-26-FRI

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