No.401 打たれ強くなれば当然打たれ弱くなる

やっとすべて校了→下阪で、カレンダーに関してはあとは提出用のデータ整理だけ(といっても未使用写真もすべて月ごとわけて提出だからかなりめんどくさいんだけど)だとおもっていたら、どこまでも面倒がつきまとう。 もういいかげんにしてくれ。 前回本紙校正をしたときのデータ(印刷機のインクの量の調節データね)を流用すれば校正でオッケーだった色に関しては本来そのまま、もしくは印刷機のコンディションに合わせた微調整ですむはずなんだけど、なぜかローランドという印刷機のほうで刷ってるものの色が黒い。 しかしスミ版は基準値から限界まで下げてるらしく、これよりスミ感を下げるわけにはいかないという。 なんでこんな事態になったかといえば、前回本紙校正の時は時間帯が早くて機械が全快のときではなかったため、スミ情報は基準値前後だったのにもかかわらず、冗談じゃないくらいスミが出てなかったらしいのだ。 情報的に、データ的には本来もっとスミがでてなきゃいけなかったわけで、で、本来のでかただったわけ、今日が。 そんな印刷機のオペレーションのところまでぼくは知ったこっちゃないけど、とにかくこのくろっぽさはまずい。 スミをさらにおとしたり、まわりの色の調整なんかでなんとか鮮やかさを限界まで出すが、大量に印刷していくうちに、必ずスミはどんどん濃くなっていくらしく、それはやはりまずく、協議の結果、黒さが問題になってる飛行機の胴の赤いところだけマスクしてスミ版を2〜3%下げて、版を出し直すことに。 うげー。 はっきりいってぼくにはまるきり落ち度はないと思うのだが、まわりもぼくを責めたりはいっさいないのだが、版を出し直すそのタイムロスとかが、結局は現実とか理性を飛び越えて、なんとなくぼくがぐずぐずしてるような印象になるのは確かで、ぼく自身なんだか自分がなにかうまくやれてないような錯覚におちいり、どうにも面白くない。 こんな右も左もわからない現場で、営業的な、客との直接のやりとりもデザインというか今回の場合オペレーションも、下阪にむけての様々な事務的工程も、おそろしい最終確認もなにもかも、慣れない環境(細かなローカルルールがぼくはわかるわけもない)でその都度ひたすら人に尋ねまくって理解しての繰り返しで、奇跡的に「普通」にまわしていること自体とんでもないパワーをつかっているってのに、こういう面白くないことがドリフのようなしつこさで、天丼でもって執拗にどこまでもつきまとう。 そしてなんとかそれらも乗り越えクリアし、やっとのことで家に帰ってくつろいでいると、またしても金ダライ。  5-6月を2万部ほど刷った段階で、データそのものにキズが見つかったのだという。 写真は穴があくほど見たはずなのに、いまさらキズ??? ただ、ほんとに小さいらしく、いわなきゃ気づかないくらい(実際そのキズがついたもので客からはオッケーもらってるわけだから)なんだけど、一度気づくと気になってしょうがないらしく、まだ2万部だし、ここは刷り直そうと決まったらしく、つまり夜中に会社に呼び出された。  客からオッケーもらってたとしても、営業もだれも今まで気づかなかったにしても、データそのもののキズとなるとぼくにも責任があるからもうがっくり。 昼のケースとはわけが違う。 不安な気持ちで会社について、さっそくそのキズを確認。 ああ。 こりゃ見逃すわ、普通。 キズというか、0.5mmくらいのマゼンタ50%くらいのち〜〜〜〜っちゃい点が写真のどうでもいいようなところにぽちょっとあって、仕事とか納期によっては、あるいは営業の性格や客の質によっては十分気にしないで続行も考えられるようなレベルのものだった。 ただやっぱり一度みちゃうと気になるのは確かで、厳しい目でみればぼくはこの点に気づかなければいけなかったんだろうともおもう。 しかしこの尋常でない環境とか、ここ2ヶ月の生活とか、ぼくとしてはこれいじょうないってくらいの努力と集中力とで、半端じゃない成長を実感しながらがんばっているわけで、全体的な、みんなの勝手な動きを掌握しながら具体的に作業をすすめつつ、あらゆる方向から飛んでくるすべての要望にリアクションしながら、作業上直面する会社のシステムの不備なんかも瞬時に判断してやるべきことならすぐにフォローし、そしてなおかつこの小さなどっちでもいいようなこの点にきづけというのは、厳しいというよりはなんだろう、「そうでもないな。 わかった」という気分かしら。 「そういうことじゃなくて。 でもここに家をたてるか」とか。 よくわかんないけど、反省でも反発でもなく、しなやかさをもって、波を自分の中に取り込んだような感覚。  とにかく今回は、この仕事はやすはらしげるという現象を余すところ無くいたぶり、どこまでもどこまでもいろんな角度からいろんな方法でいたぶり、いたぶり、いたぶりたおしてくれるもんだから、ぼくはどんどんどんどんさまざまな基準点をあげ、打たれ強くなり、Mっ毛を強化し、注意深くなり、決断力をつけ、慈悲深くさえなってきているような気がする。 基準点が上がることは同時に基準点を同じふれ幅で下げることも可能になることを意味しているし、打たれ強くなれば当然打たれ弱くなり、Mっ気を強化すれば反発する本能がMっ気を減退させるだろうし、注意深くなることで見逃すこともでてきて、鋭い決断力は判断を鈍らせ、慈悲深くなることでどこまでも厳しさをますことになる。 ようするに、このままだと目に見えない早さで振動する、ものすごく面白い人間になっちゃうぞこのやろうちきしょううんこたれ。 といいたい。 長期にわたる非日常的なひどい思いは、人に得体の知れないおもしろみというかトロミというか臭みというか説得力をもたせると、経験上そうおもう。 おそらく共感者多数だろうと。 精神が驚くほど座る。

2003-10-03-FRI

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