No.413 近づく北海道に、調子に…

なんかすでに「天気」をかくのをぼこぼこ忘れてる。 どうも前の日の天気ってすぐに思い出せなくて、その思い出す行為がおもいのほか負担になることを知った。 これだけのことで楽しく日記がかけなくなるのはもったいないので、残念ながら天気表記は断念します。 さぽちゃん、無理。 

さて、いよいよ今週末にせまった北海道旅行。 メインディッシュである、テントでのあの人らの劇ももちろんものっすごく楽しみなんだけど、なによりさぽと一緒に未踏の地に旅行ってのがほんとに久しぶりで、考えただけで喜びで背筋がソっとする。 ついに「道」にいける。 しかも2泊! イヤになるほど散歩して散歩して、北品川に続くセカンドホームタウンにして帰るぞ。 世界中のあらゆるところに、想像すると思い出せる「街」がふえてくのってほんとに楽しいステキなことだ。 米沢、山形、仙台、天童、千葉、尾花沢、福島、銀山、保原、東京各区、宇都宮、横浜、鎌倉、ウィーン、ソウル、下関、最近じゃDVDの中の架空の街まで思い出せるもんな。 記憶の中じゃ現実もバーチャルも大した差はないからおもしろい、というか、それってどういうことなのかよくわからない。 ぼくは小学生のときに夢にでてきた架空の女の子に本気で恋をしたことがあって、そんな絶対的な現象(←その架空の娘)には当然現実はかなうわけはなく、そうなるともう本末転倒というか、はちゃめちゃである。 しかしそーいう「はちゃめちゃ」みたいなことこそが、健康的な(←悪い意味で)精神にちゅちゅっと毒だか薬だかわかんない刺激になって、なんとも気持ちのいいってのが、人の精神が崩壊しないための日常的な、無意識的な工夫であって、そーいう「はちゃめちゃ」を、たとえそれが無意識下の存在であっても、それでもちゃんと意識の上にもってきてその存在を認識できてない人ってのは、どこまでもいつまでも精神が健康で、つまりそれこそが皮肉かな「精神崩壊」そのものなんじゃないかしら?? と、いじわるに思ってしまう。 今日のダーリンコラムで糸井が、「たばこもやめて、早起きして歩いて、ものすごく気持ちよくて楽しくて、間違いなく正しいんだろうけど、しかしこれってただの健康なおっさんじゃねーか??(大体こんなようなことをいっていた)」と、実にゆがんだ悩みの片鱗を見せていて面白かった。 そうなの。 圧倒的な正しさ、健康さに向かう自分を意識しちゃうと、「おいおいほんとにこれでいいのか????」というバイキン悪魔がささやくの。  だらしなさ、くだらなさ、不健康さ、汚さ、卑しさ、そういうところしか見つけられない歪んだ、しかしびっくりするほどきれいな「美」というのが確かにあって、それを知ってるとどうしても「完全な健康、完全な正しさ」みたいなものに向かうのが、はたしてどういうことを意味するのかという、それはそれは難しいループにシュルっともってかれてしまう。 イデオロギーが二極化する矛盾の中で、その苦痛をも快感に変換するいやらしさを身につけ、今日も王様気分で世界を馬鹿にする。 そういう人多いねー、最近。 つって。 つかして。 ふざけすぎて嫌悪感でむかむか。 してない。 ふひ。 かわしの術だけ情けないほどみにつけ、言葉遊びで自分すらだます。 ふひゃ。  ←というような、「はちゃめちゃ」みたいな遊びが、案外ご飯を食べるより栄養になったりする時も場合によってはあるという嘘を、おそらくぼくは「…北品川に続くセカンドホームタウンにして帰るぞ。」あたりから無意識につきたくてつきたくてむずむずしてたんだろうな。 でもその程度の嘘に執着する根拠となる感情は、まぎれもなく「健康な精神とは精神崩壊そのものなんじゃないか」という痛快な予想からきていて、つまり、嘘をつくことで、嘘じゃないことを確認した??  背理法??  いやちがうぞ、背理法は偽でもって真を証明するもっとシンプルな方法だ。  そういうことではなくて、ざっくりあかせばメタフィクション的な手法をもっとさらっと日記に導入できないものかとどこかでおもっていて、でもメタ日記どころかメタメタ日記みたいなことにも以前挑戦してるんだけどどうもぼくの望む形にはほど遠く、というか途中で方向性をはぐらかす自分に自分自身だまされて煙にまかれてうやむやにされて、こんなに破綻させたんだから結果かっこいいんじゃないだろうかとそこでやめちゃう癖がついてしまって、よくないなー。 これじゃ進歩できないなー。

ところで北海道ではなんと、ミスターの奥さんのお店「フーコック」でコース料理を食べるの!!!! すごい!!!! ベトナムでミスターにシーバーを届けた、あの人に会えるのか???

2003-10-15-WED

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送