No.461 ぼくはやのあきこを食べた

人がなにか表現するってのは、どうしてもそこになにか「きもちわるさ」を感じさせるもので、どんなにすばらしいなにかでも、それは「表現したい」というモチベーションが存在する以上、宿命的に避けられないもんだとおもって諦めてた。  でもしかし、あまりにも飛び抜けて、人間の枠をこえてんじゃねーのかってぐらい飛び抜けて、もうこっちがなんだかんだ判断するレベルじゃないところから、「自然」と等価とさえおもえるほどの、どでづもない、ずざまじいパワーでもって、圧倒的な「美」を放出することができる、化け物がいた。  化け物を見た。   地球が誇る天才ピアニスト、あっこちゃんである。  実に20年ぶりの山形公演で、あっこちゃんは、ピアノ一本で、ぼくと、さぽと、長谷部さんと、その友人と、さぽの視界を遮るハイテク車椅子の五体不満足なおじさんと、その奥さんと、目の見えないはげたおっさんと、その目の役割をする肛門にビニール袋をつけた盲導犬ゴンちゃんと、目の見えるはげたそこいらのジャズ大好きおっさんと、品の良さそうなばあちゃんと、エロティックなおそらく芸工の3年生くらいのツアーパンフを買った男の子と、あの人と、あの人と、あの人と、そこにいた人たちすべてを、一回殺した。  うん、死んだ、死んだ。  もうね、あのね、これが「別格」というんだなと、骨の髄から分からされた。 あまりにもすばらしすぎた。   なんといえばいいのかしら、ピアノ一本のはずなのに、そこには常に50ものリズムと調が複雑に、同時に存在しているような感じ(とてもひとりの人間がライブで演奏してるとは信じられない!!!!)で、こちらの意識次第でいつでもどのリズムともとれるような、どの調ともとれるような、まさに自然から感じ受けるようなあの無限の選択権、自由が前提にある、しかし絶対的なルールは確かに存在していて、オモテにはでてこないがそれを心のおくで快くうけいれてるような、ものっすごく気持ちのいい多層的な音の流れがあり、そしてそこに、「ここはこの視点で、この温度で、このはやさで、この気持ちで受け取るのが私はおきにいりなのよ」と、いっぽんメインのラインをとおしてくれるような、あの天才的なシンコペーションのインフレのようなボーカルがのる。 彼女のちょっとしたスキャット、足ドンドン、発音のアクセント、そういうもので、50ものリズムと50もの調が同時に併走しているような信じられない音の流れは、いつでも好きに、全然違った景色に変わり、そのたび「ハッ」とするのをとおりこして「ゾッ」とさせられる。 あまりの気持ちよさ、あまりの幸せにゾッとする。  この人はピアノはもちろん、もちろんなんていっちゃ逆に失礼か、ピアノもなみなみならぬ努力の結果、いまや神様みたいに意のままに操るのだけど、ボーカルもすばらしいテクニックをもっているんだなと、今日、改めて思いしった。 人間の体を使って「発声」するというシステムを、ちゃんとしっかり外側から捉えていて、つまり「歌う」という記号にのっかってないで、いろんな可能性がある「楽器」を演奏している意識で歌を歌っているの。 ホーミーとかまで特徴的なことはしないまでも、ありとあらゆる発声方法を歌の随所でもちい、計算してかもはや感覚的に最適なものを選ぶルーチンができてるのか、その曲のその部分のピアノの和音の響きの周波数にあったような、倍音がよりおもしろく際だつような、リズムがより効果的に複雑に面白く感じられるような、そういうあらゆる面でより音が楽しく美しくなるのに適した聞いたこともない発声法で、歌うのだ。 嗚咽のようなものから、まさに王道スキャット、ホーミーに近いもの、アカペラのパーカッション的なものまで、ほんとにいろんなことをリアルタイムで思いつくままに使いこなすのだ。 ピアノだけでもすでに相当大所帯なポストロックでも聴いてるような厚みと変態なのに、さらにこの変態の鏡みたいなウワモノがのっかって、会場は変態と変態の交換の際に発する琥珀色の変態物質で充満していき、全てのひとは人生で最高最大の夢の変態時間を過ごしたに違いない。 に、違い、ない。  2曲目にやった「青い山脈」は、今日、山形にきて、街が山に囲まれていることに、彼女なりに間違いのない「正しさ」を感じたそうで、それで急遽演ってくれたんだけど、もうもんのすんごいかっこいいの!!! なんなんだこの音楽は???? もうジャズだペニスだうだうだいうなといわんばかりのジャンルを超越した異次元みたいな恐ろしいまでのかっこよさ!!!!!!  ぼくは頭痛もわすれてガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガク、ブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブルブル。 きづいたら手を組んで神様にいのってるような格好になって、ギンギンに勃起して、目には涙がいっぱいにたまって、もうちょっとで死んじゃうかと思った。  ああああああ、えがった〜〜〜〜〜〜〜。 ほんとにえがった〜〜〜〜〜〜〜〜。  途中、京都の天才レイ・ハラカミ(Great3、くるり、竹村延和なんかのリミックスもしてる)に今回のツアーの為に特注してリミックスした自曲2曲を流して、矢野さん前にでてきてマラカスもってノリノリで歌うってのがあったんだけど、これがまためちゃめちゃかっこいい!!!!! ぼくはいままでくるりの「ばらの花」のリミックスでしかこの人の音を聴いたことがなかった(というかそれも今日レイハラカミだったと知った…)んだけど、すごい!!!!!!  ものすごく繊細で、ものすごく緻密で、ものすごく情緒があって、しかし手触りはエレクトロニカで、スピードがあって、はじめ絶対お父ちゃんたちはひいてたんだけど、さすがに圧倒的な質の高さには気づかぬふりもできず、最後はみんなあまりの気持ちよさに放心状態だった。 こういうのはいい。 こうやって、信じている人が自信をもって異物を啓蒙させてくれるというのは、動脈硬化がすすむおっさんにとってすばらしいアクシデントだ。  ところでこれまた恐れ入ったのが矢野さんのマラカステク! 踊りながら、両手にもった二つのマラカスをこれまた神様みたいに自在に操り、グルーブ感たっぷりの完璧な16を刻み、時にハネ、時にフィルって、踊りと歌と完全に一体となった何一つ不自然さのない流れの中でそれをやりこなす姿はまさに修羅! 修羅ってなんだ?   そして最後はそのまま踊りの流れでごく自然にマラカス置きにマラカスをひとつずつおいて、曲が流れる中するりとピアノに戻り、エンディングのハラカミミュージックにあわせて矢野のピアノがからみ、そしてフェードアウト。 フェードアウトしたのはハラカミで、矢野のリフはそのまま次曲のイントロへとつながる。 ずっとこんな流れ。 不自然なつなぎなんてひとつもない。 MCさえ曲のようで、曲と曲の間奏といった方が適切なぐらい。 またMCがうまい! すごく聴いてて楽しい。 うれしい。  弾き語りの醍醐味で、曲目はどんどん変更、歌詞を忘れても「わすれちゃった」という言葉が歌詞におきかわる。 楽しい。 とにかく楽しい。 こんなに楽しくてこんなに高級なアートはない。 普通はこんな密着して同居しない。   あああ、えがったーーーーー。 アンコールでやったくるりの「ばらの花」と「電話線」もえがったーーーーーーー。  いつまでもいつまでも調子にのったトリックスターがお辞儀してるの、かわいかったーーー。  夢のような時間をほんとうにほんとうにほんとうにありがとうございました。 ぼくは今夜、おなかいっぱいやのあきこを食べました。 げぶ。 ケロ。

2003-12-02-TUE

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