No.510 じげるはないだろう、ギャロ

部屋においてあったブラウンバニーのチラシをみて萌えた。 バッファローがど真ん中だったぼくとしては、カンヌ総スカン(←これがいい!!)ながら中原や町田や竹中や片寄りやらにこういわせるこの映画はまちがいなくぼくの大好きなテーマ、質感に違いないと確信。 ぼくはこのギャロのとことんまでよわっちい、究極にもろい、病的に繊細な感情の表現への執着がたまらなく愛おしい。 どれだけなんちゃって芸術家の代表格のように馬鹿にされようが、業界がアホナルシストを利用している気になっていようが、バッファローはいまだかつてないほんとにとてつもないレベルで、ぼくらの愛してやまない「あの部分」を見事に美しくやってくれたというゆるぎない事実がある以上、どっちが利用されててだれが真の芸術家だい?ぼくちゃんと軽くせせら笑えてしまうでしょう。 あんなのつくれる人いねーぞほんと。 わかりやすくてちょっとの工夫で自分の肯定にもつながるような作品しか面白くない人はそういう人同士でかたまって一緒に便所にいって小さいペニスを自慢しあえば楽しく特殊相対性理論の範疇におさまるのに。 どうして加速するか。 一般相対性理論の具体的数式は世界にもそれを理解できる数学者が少ないってのに。 一生何度でもいうけども、おもしろいものはおもしろいし、くだらないものはくだらない。 好みなんてのはひとつの色眼鏡でしかなくて絶対的なものではけしてない。 自分がわかるからおもしろい、自分がわからないからおもしろくないなんていうのはあまりにもつまらない世界の捉え方で、「死ぬほど嫌いで嫌いでもう見てるだけで吐き気がするほど面白い、大好きだ」とか「もうね、ずっと口の中に入れていたいほど美味しくて美味しくて幸せでどうにかなっちゃいそうな味でまずい」とか、現実はそういうことなんじゃないかしら。 自分に自分がだまされてるみたいな馬鹿が多くてむかつく。 おまえそれほんとのほんとにおもしろいとおもってんの? そんだけ何回も聴けるってことはさぞつまんない曲なのか? その真の幸せに気づいてしまった不幸せに同情するよ。 みたいなことがあふれていやしないかしげる? いや、おれはそうはおもわないぞ、しげる。 おまえのそれはただの言葉遊びに陥るからつまらないんだよ。 そんなこというなよ同じしげるなのに。 わからなくなって言葉にのっかってドーピングみたいなズルしてることは百も承知だけども奥底にあるエッセンスが純粋なものだけを選んでいるつもりだぜ、しげる。 つもりつもりってそれが一番たちが悪いっていつも自分でいってんだろうよ、調子のいいじげるめ。 じげるはないだろう、じげるは。 じげるはないな、ごめん。

他に愛する人(プライベート)がいるクロエと実際に裸で2週間だかいちゃいちゃして役作りしたってのが萌える。 尺八シーンが10分。 萌える。 くわえながらしゃべるクロエ。 しゃぶりながらしゃべるが適切か。 萌える。 海外版はぼかしなし。 ぼかしありバージョンもギャロ自ら修正してその出来に満足しているというじゃない。(さきっちょがぼかしからはみ出ると評判!) 萌える。 なぜに田舎は配給が遅いか。 はやく全世界同時デジタル配信がいきわたらないかなー。 フィルムの魅力はニューシネマパラダイス見れば十分でしょう。 CDとかレコードはなくならないでしょう。 安心してデジ肯定。 マスター!?  誰に対して文句をいっているかといったらねむたくなったとか安易にいってる馬鹿とか、ドビュッシーがわからないんだと嘆く、昔は名うての思想家だったフランスの教授とか、そういう輩に向けてにきまっているでしょう。 後者は不安をいだいているだけ別次元にマシだ。 勢いよく「いいものは万人に愛されるんだ結局!」なんておもってる馬鹿は寝ろ! んなことあるか! 3分間丁寧に1から考え直せ! 2分で赤面だ。 3分で自殺するかもよ。 かっこいい? ばかか。 最悪だ。 くせーくせー。 自殺なんてくせーんだよ。

2004-01-20-TUE

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