No.538 ぼくの夢

やべ。 ぼくは池澤夏樹がものすごく好きみたいだ。 以前「スティルライフ」を読んだときに、そのあまりに希有な、人工とはおもえない超越した「美しさ」に、まるで自然物に感じるような類の根本的で純粋な感動をおぼえ、全細胞が心地よさにうちふるえ、以来この人はぼくの中でかなり高い位置にいたことはいたんだけど、今回「夏の朝の成層圏」を読んでその位置は確実なものに。 保坂和志、島田雅彦も、ぼくの中で同じくらいの位置にいて、どの作品もものすごく根本的・絶対的な賢さ、愛すべき心情ととけあった教養、丁寧に丁寧に生きるが故に受けてしまった傷の痛々しさに全編溢れていて、そしてやはり同様に、作品に「大自然」にしか本来感じ得ない類のエネルギーがたしかに流れている。 普通こんなこと、人間ができるワザではないはずなのだ。 作者がもちろんすごい化け物なんだろうけど、しかしそれ以上に作品が、そのかかれた課程によるいろんな偶然も含めての「作品」が、なにか、作者の力をこえたとてつもない力をも引き込んで、恐ろしいほどの輝きを、価値を作り出してしまったんだろうとしか考えられないような、ヒトの力を越えすぎてるレベルなんだもん。 自分の力を越えたすごい「なにか」が自分に降りてくる感じというのは確かにある。  もちろんこれは比喩であり、実際的に色っぽくない言い方をすればそれは単なる偶然の重なりでしかなく、それを捉える「目」こそ自分の関われる限界のポイントであるが、外の世界の良い偶然、このぼくにその瞬間を感じさせた偶然というのはぼくの努力ではどうしようもないわけだから、やはりそれは誰かがいったように「映像の神様が降りてきた」というような表現をしたくなるようなことで、単なる偶然でかたづけたくない。 そういうときに書いたもの、つくったものってのは、いつまでたっても自画自賛できてしまうもの。(普通自分とか近親者がつくったものなんてすぐに色あせて至上最悪のださいちっぽけなものに変わってしまう)  そういう外側からの加勢を見逃さず、しかもくることを察知し、あるいは呼び寄せられる呪術士こそがすごい作品なりすごい結果を生み出していけるんだろう。 あまりにもモノが多すぎて、なにを聴けばいいか、何を読めばいいかわからん、なんて思っちゃいがちだけど、血が騒いでどうにかなっちゃうくらい面白いモノやコトなんてのは極々限られてくる。 だから自分の肌にばちりと合った、すばらしく高い完成度のものとであえると、うれしくてうれしくてうれしくて、うれしくって、ありがたい気持ちでいっぱいになる。  さて、「スティルライフ」と「夏の朝の成層圏」が面白かったなら、「真夏のプリニウス」と「マシアス・ギリ」も絶対オススメらしいことをききつけたので、しばらく安泰。 ぐふふ。 しかもその前に天才ドストエフスキー初体験! 夢のようだ。 ほんとに幸せだ。 さしあたって小さい夢はテルメに文庫本持ち込んで何時間も風呂にはいってること。 思いついたら顔がにやけちゃうほど幸せな気持ちになってきちゃった。 ぐふふ。 ビニールで自作のブックカバー作っちゃった。 ぎゅひゅひゅ。

2004-02-17-TUE

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