No.544 ドスト

ドスト文学の異様さ、というか奥深さがじわじわと浸食してきた。  とにかく、一人の人物のえらく興奮したべしゃりが多いのだが、最初これがあまりに自意識過剰で、ひとりよがりで、しつこくて、なにより強すぎるもんだから、とてもまいっていた。 もちろん、媚びない、瞬間瞬間の気持ちに正直な主人公の振るまいは一方でものすごく大好きな愛すべきものなのだし、理屈っぽいエネルギッシュなよくきれる人間のえらく酔っぱらった描写などはよくぞこの理性を半分欠いた人間のこのリアリティーある「断片性」をここまで自然に描写できるもんだなと感心させられるし、とにかくすごくすごく「すごい」のはビンビンくるのだが、しかしそれでも、まいっていた。 100年以上も前の、しかも別の国の、言葉を換えられた文章というのは、その精神に限りなく同調できる予感こそするけれど、なかなかその実態をつかみきれないのだ。 実態をつかむというか、なんだろう、「ぱちり」と作者の気持ちとシンクロして、話が、気持ちが、苦しみが、景色が、考えていること全てが、一気にバババッバッとみえると「話」って一気に面白いじゃない? 小説ってメディアは特にそれが強烈じゃない? 文字だけっていうある部分徹底的に不自由なことが、ひとたびシンクロしたとたんにその不自由なしではありえなかったであろう「はまり」かたを実感できるというか。 行間の空気まで、書いてない動作まで、作者がこれを書いたときの匂いや息づかいまでわかっちゃうような、あのスピード感のシンクロ。 そう!! 「スピード感のシンクロ」というのが一番しっくりくる!!!  同じ「馬鹿野郎」にも、なんの説明がなくてもそこにのせられたニュアンス、物質的な、音的なところ(イントネーション)まですべて一寸の狂いもなく読みとれる、読みとった気になっているとは決していいたくない完璧な自信があるのが特徴的な、「あの状態」こそ「スピード感のシンクロ」。  その、「あの状態」になかなかなれないジレンマに、つまりぼくは「まいって」いた。 のだとおもう。  しかし、seigo氏(ドスト文学が大好きでこってりしたサイトを主催している)の言葉を借りれば「世間から悪評を受け自らもそのように振る舞っている登場人物が、時に、秘めた『心・考え』の『清らかさ・高さ』を示す珠玉の言葉を吐露するシーン 」が繰り返されるほどに、次第にドスト氏の「スピード」が感じられてきて、徐々に徐々にそのスピードにも目が慣れてきて、そうなると一気にあらゆる登場人物がとんでもなく魅力的に動きだした。 なんと、この作品において、あらゆる人は記号でないのだ。 人の役割が、賢く記号化されたものではなく、完全に、善悪ごちゃごちゃした答えのない、恐ろしくて危なっかしくて愛おしい、生身の人間として存在しているのだ。 これは、ドスト氏自身の、思想的なしつこさ、かっとなって全ての考えを勢いにまかせて吐露してしまってあとで激しく自己嫌悪に陥るようなタイプ(勝手な予想)特有のしつこさみたいなものが、どうしてもにじみ出てしまう結果なんじゃないかとぼくは浅いところ(←保険でなく本気でそうおもう)で思っている。 もちろんコントロールしているだろうけども、だまってても出てしまう類の特徴じゃないかなーと、におう。  びっくりするぐらいの心の「悪」の後に、たいした理由もなく、突然ころっとその人間の「善性」が出てくるところがぼくはとても気持ちよく、そこのところの矛盾のリアリティーからドスト氏の人間に対する観察眼のするどさ、自分自身へのごまかしのない徹底的な分析力がうれしくてたまらないのだ。 チボー家でも感じたのだが、くどいぐらいに、何度も何度も、人物のあらゆる感情、あらゆる心を「言葉」に定着してしまうと、どうしてもそこには「汚い卑しい小さい魂」を感じてしまうことになってしまう。 例えば客観的に、淡々と、ある人物が善行をしているシーンが描かれたあと、最後に、「彼は自分自身に満足し、自分の力を強く感じた」みたいなことが書いてあると、なんだかそいつがひどくいやらしく写る。 内面をいちいちかかれては、人はとにかく自意識過剰な妙にいやらしく合理的な利己主義みたいにうつる。 例えばドラゴンボールだって、全てのコマに悟空の心の声がモコモコのなかに書かれてあったら、あんな素朴なキャラはつくれないだろうとおもう。 「あいつよわそーだなー」「そんなことよりハラへったなー」「オラつえーー!」「オラやさしーー!」  しかしロジェ・マルタンデュガールはチボー家において、徹底的に全てのコマで悟空の気持ちを描くようなことをあえてかどうかしらないけどしていたのだ。 それでジャックやアントワーヌはなかなかその人格を理解してもらえなかったかわりに、後ではその全ての複雑な矛盾をひっくるめて、生きた人間として愛されることになるのだ。  ラスコーリニコフは、ジャックに比べて直接全部口にだしていってしまう。 というかロシアのこの熱い若者たちは、皆、それいっちゃおしまいだろうというようなことを平気で相手にいってしまう。 みていてドキドキするような、相手の人格の完全否定みたいなことを平気でいってしまう。 しかし相手はこたえない。 こたえてるのか? そこらへんがやはりまだよく生の感触でみえてこないが、しかし、だんだんとだんだんとこの人の、ドスト氏の人間は見えてきた。 面白い。 なんともむずかしい人間で愛おしい。 もうすぐ下巻。 長編を読んでるあいだって、2重人生がとても楽しい。  ところで筋のながれは意外にも演劇的なのね。

2004-02-23-MON

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