No.572 究極シャッフル

最近仕事中itunesから直接音楽を聴くことがあるのだが、全曲(現時点で1200曲くらい)を対象にしてシャッフルで聴いてると、これがめちゃくちゃ楽しい!! もう次に何がくるのか全く予想がつかないもんだから、ドキドキなのだ。 インストがほとんどだから、相当ヘビーローテーションのアルバムでないと全ての曲を把握してるわけでもなく、「ん?このかっこいい曲は一体だれだ?」なんていっていまさらながらの名曲発見ができるのがすごく嬉しい。 今までだと大抵アルバムを選んで曲順通りに聴いてきたから、アルバムを選ぶ時点で選択が偏っていたし、後ろの方の曲はどうしても辿り着かないことが多くて、ひどいと買った日に通して聴いて以来、それっきり聴いてないなんて曲もあるわけで、そういうのが全ての中から無作為に選ばれるということは実にすばらしいことなのだ。 偶然前の曲から自然な流れで曲がつながってまるでひとつの曲にように感じたりするのも楽しくて、ドビュッシーからビルエヴァンスにグラデーションでうつっていって、さらにリズムが成長してジャンル感が消えていってディラングループにいって、うってかわって鈴木慶一の気狂いじみたボーカルがきて、しばらく往年のジャパンポップス(大貫、達郎、曽我部)が続いてたら突然竹村延和の極端にリリカルなエレクトロニカ仕立ての曲にぶっとび、マイス、HIM、iglooと大好きなあの辺の音が立て続けにきて、合間合間にくるり、キリンジなど挟まり、すっかり音響の流れと思って聴いてたらスピリチュアルジャズの企画ものの印象の薄かった曲で面食らったり、この人とこの人の音は意外に近いなーと気付いたり、あまり好きじゃなかった曲が実は今現在の自分好みのものすごくかっこいい緻密な構成だと知って大好きになったりと、本当にすばらしい発見がたくさんあった。 ジャンル、アーティストを飛び越えた完全シャッフルってのは、普通に聴いてたらどうしてもぬぐえない変な偏見を完全にとっぱらってくれる効果がある。 ジャンルに思い描いた無意味な観念を組み立てる暇もなく次々に1曲1曲同じ調子で流れていくもんだから、すべて、フラットな、「音楽」として受け入れることになるのだ。 これはとても理想的な、いい態度、環境である。 これが外で歩きながらできちゃうんだから、もう何をおいてもやっぱりipodをまず買わなきゃだめだ。 よけいなことしてる場合じゃない。 最高の散歩の季節だってのに。

ところで我が家の重病人さぽちゃんす大先生は、今日病院にいって見てもらったところ、やはり骨や筋にはなにも損傷はなく、どうも弱ったからだに菌がはいってしまって炎症を起こしていて痛かったらしく、抗生物質と湿布ですっかり元気になっていた。 まだほんとではないが、でも洗い物したり起きてテレビを見る余裕もでてきたので、ほんとによかった。 もうね、医者に行くまでは死をも覚悟してたくらい落ちていたんだから。 寝る前にしみじみ「健康ってのは、生きているってのはすばらしいことだ」と感極まっていた。 病気をすると心からそう思えるんだよね。 だからぼくは病弱な人のほうが信頼できるんだよね。 ずっと健康で風邪もひかないような体質の人は、病人の辛さもわからなければ、自分の健康のありがたさにも気付いていない人が多いんだもの。 往々にして体育系の心が愚鈍なのはそっからきてんのかしら?

2004-03-22-MON

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