No.587 サンポーワールド発現

晴れた! しかもipod! こりゃもう歩いていくしかないでしょう! つって、いつもより20分早くでて歩いて会社へ。 もう言葉にできないくらい気持ちいい! なんだろうこの異常な幸福感は。 小中高と、毎日そうしていた時には全然感じなかった(感じてはいたんだろうけどこれほど意識してなかった上に実際面倒だとおもっていた時の方が多かった)歩いて通うことのこの喜び。 景色が、匂いが、おで(わっぺく)の任意で、どうとでも移ろいでいくのだよ、ちみちみ! 方角さえ大体あっていれば、気になった道にどんどんはいっていいんだよ、ちみちみ! なんてすてきなことでしょう! なんて楽しいことでしょう! 生の散歩は、ドラクエなんかより、小説なんかより、映画なんかより、やはり何倍も、何倍も、というか比べることがおかしいほど、うんとおもしろいのでつ!!!! 最強なのでつ!!!!  特に今日は帰り道がばかみたいに気持ちよく、ただでさえ久しぶりに7時半に帰れるってんでうれしくてウキウキしてたのにくわえ、藤田さんから借りてipodにいれたチェロのやたらかっけー音楽とリアルの夕闇スクロールがあまりにもハマりすぎで、もう家に着くまで終始この世の最上の喜びみたいな顔でやばい人みたいにキョロキョロフラフラして立ち止まって回転しながら帰った。とおもう。  外の音がまったくきこえないから、こまめに振り返って後方確認したり、横断するにも普段の20倍ぐらい気を遣ってどう間違っても絶対に誰とも接触しようがない状況を確認してから渡ったりと、視覚と触覚と嗅覚とシックスセンシズをフルに使って聴覚を補ってたもんだから、普段きづかないようなことにきづいたり、普段連想しないようなことを連想したり(景色とか建物とか人から)してしまって、ひとりで勝手にとてつもなくでかい不気味愉快なアミューズメントパークに迷い込んだような気になってしまった。 ふっと横の道を見たとき、不自然にぴょん、と一本だけたった特徴的な木が目にはいると、同時にチェロは高い張りつめた音をひとつ特徴的にのばして、ぼくの中ではその音とその木は疑う余地もなく同一のもので、シンクロすべくしてシンクロした片割れ同士がこの場所においてぼくによってのみその統一を確認されたということがうれしくてうれしくて、今度は曲が急におどろおどろしくなりはじめ、さてはとおもって通る予定ではなかった細い小道にはいっていくと、やはりそこにはおどろおどろしい、曲にぴったりの道が用意されていて、こういう事かと悟ったぼくは、完全に社会的なものの見方とかいわゆる現実的な認識からはなれ、そこに次々とおこる夢のような「現実」に身をまかせて、高度な、人間的なことを思考するのを一切やめて、とにかく魂のほっするまま、存分に帰り道を楽しんだ。 このレベルまで楽しくなるってのは、過去、振り返ってみても、絶対いつも「ひとりで歩いているとき」にほかならず、これは「外部の人間的気持ち悪さ」が自分の中にまったくはいってこない(きもちのわるい看板とか、歩きタバコを捨てる人とかの直接コンタクトをとってくるわけではない情報、現象は、この状態のぼくには意味としてはいってこず、サンポーワールドの電飾ぐらいのものなのだ)からに他ならず、それゆえ自分にもそれに対抗、またはシンクロする気持ちの悪い人間らしさがあらわれず、ただ外部の景色、匂い、感触を楽しむ受け身の存在になりきれるからだと思った。 このときだけそういうふうに「思った」から人間が一時復活してしまったんだけど、これも全然いやじゃなく、すぐに当たり前のようにすぅっと自然に溶け戻った。 さすがに人間の多いゾーンに踏み入れてからはだんだんと雑念が増えていき、とうとう人間安原茂に帰ってきてしまったのだが、しかし実に40分くらいは理想的状態をキープできていた。 ほんっっっとに楽しい!!!!   ただ、これをしてるときに人とすれ違うと、なぜだか全員一般市民を装った殺人者に見えてしまい、すれ違うときにマシンガンやら包丁やら出して襲いかかってくるんじゃないかと本気で恐ろしい。 普段からそういう可能性をよく連想する質ではあるが、人間じゃなくなって聴覚まで遮断してしまうとそれがいつもの100倍くらいに強まる。 だから無事にすれ違ってからも、まだ銃で狙われてるような気がして、急に首をサッとかしげたり、無駄に横っ飛び(かるく)したりして、後ろからの卑怯な攻撃を避けたつもりになったりする。 敵はさぞかしびびっているだろうな。 ふっ。

2004-04-06-TUE

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