No.613 外遊び

今日もうんと晴れた。 朝から嬉しい。 今日はさぽも休みなので、ふたりで外遊びにいく。 お風呂にはいって弁当をつくって水筒にお茶をいれて、出発。  まずはDEPOにまわってバドミントンセットとフライングリング購入し、そのまま悠創の丘へむかう。 今日の悠創の丘はいまだかつてないくらい美しく、それが季節のタイミングなのか時刻のタイミングなのか天気のせいなのかはわからないが、とにかく、思い出として美化された、現実にはありえないだろうと思っていたような夢みたいな景色がいきなり目の前にリアルとして落ちてきたみたいな衝撃で、ちょっと信じられなかった。  興奮して橋をわたり、歩いてるあいだも春と夏の間のぼくらの大好きな匂いを存分に嗅ぎまくり、人の比較的すくないいつものところで落ち着く。  坂になってる芝生に水平につくられたテーブルとベンチがいくつか散在していて、そのうちのひとつに腰掛ける。 水平に作っているとはいえ、やはり若干傾きがあるようで、始めさぽと向かい合って坂の上をみるようなかたちで座ったんだけど、うしろに転げそうな感じがしたのでぼくも上に並んですわる。  もうお昼なので、さっそくさぽがつくってくれたお弁当を広げ、食べる。 特製うまうまスティック(おにぎりの細長いやつ)と、昨日と同じサラダと、ゆで卵。 風が強くてちょっと寒いが、食べてるうちに丁度良くなってきた。  食事を終え、バドミントンを始める、が、風があって全然だめ。 何度か場所を変え、風のやむのを見計らって、なんとかかんとか楽しむ。 フライングリングは、ディスクと違って風の影響をほとんど受けず、これは外遊びに向いている。 さぽもだんだん慣れてきて、気持のいいキャッチアンドリリースをしばらく続ける。 1時間ほど遊び、寝転んでひと休みして、悠創の丘をあとにする。  一度この道で西蔵王公園にいってみたかったという道を通ってみる。 途中展望スポットがあり、道路幅もいつものコースよりずっと広く、どちらかというとこの道で行くのが正攻法らしい気がした。 いつもとは逆から西蔵王公園入り口に出て、ちょっと感動し、公園的なものはさっき満喫してきたのでそこは素通りし、大山桜をみにいくことにした。 野草園の駐車場誘導のおっちゃんに道を聞き、その通りにいくとなんとぼくらがそのロケーションがすばらしいことで大好きな三百坊へいく道にたどりつき、この道の行き止まりといえば前にいったことがある牧場のはずなのだが、同時にそういえば道のいたるところ大山桜と書いてあった記憶もふたりとも残っていて、どういうことだろうとのぼりきると、やはりついたのは例の牧場で、しかしその左手にはたくさんの人がのぼっていく草の丘があり、その上、300メートルくらい歩いた先には間違いなく以前ぼくが迷い偶然たどりついた大山桜がぽつらぽつらと見えるじゃない! まさかこのふたつの記憶が同じ場所だったとは!! 品川で、数日間泊まっていた会社の寮のすぐ近所に、原美術館を発見したときと同質の驚きと喜びを感じた。 こういう意外ってのはおもしろい。 こういう意外ってのは人の話しだったり物語できいてもなんてことないんだけど、自分自身が体験するとその突飛な結びつきにとても感激するもので、ぼくは大好きだ。 知らない道を歩く喜びも、これのプチバージョンをいっぱい味わえるから好きなのかもしれない。 ええ??ここにでるんだ?? という驚きと喜び。   桜そのものよりも後ろの山の景色と、針葉樹の濃い黒とのコントラストが綺麗だと感じるのがここの楽しみ方で、したがって楽しめる角度というのは限定されていて、当然そこには定年退職カメラマンがひしめき、一般客をイライラしながら呪っている。 いかにもゴールデンウィークらしいことをしちゃってるなーと感じながら、ふたり丘をおりる。 サンダルで運動しまくったせいで足がくつずれしてしまい、別の靴で登ってきたのだが、この靴、見た目の好みで紐をとっぱらって使っているもんだから下りになると靴の中で足が前の方に移動してしまって非常に歩きづらい上に急速に靴を痛めそうで気が気じゃない。 なんとか降りきり、偶然さぽの知り合いの山川さん夫妻と遭遇し、別れ、車にのり、下界へ。 

川魚の美味しい季節だってことで、馬見ケ崎川上流にいいスポットはないかと下見にいくが、この道路(川に沿いながらインターに向う道路)、交通の流れが速くて、ちんたらなにか探しながら走ることを許されないムードで、結局無数の釣り堀を通りすぎ、インターまでいってUターンして帰ってくるだけになってしまった。 これはしってる駐車ポイントとか脇道がないとむずかしい。 こんど時間があるときにどこかに車をとめて歩いて散策したい。  下流の川沿いの、いつも遊ぶとこよりちょっと上のほう(ジャバの上)あたりをものめずらしげに歩き、しかし寒くなってきたのですぐにやめて家に帰る。 ひとやすみしてごはんを食べて、「パッション」をみにソラリスへ。 9時からという遅い上映が今日のぼくらにはちょうどよかった。 聖書に忠実にキリストの例の場面が描かれているというのでふたり興味津々。 ショック死する信者もでてるというだけあって、執拗なグロさでもってこづきまわされるキリストが描かれていた。 感想は、ふたりそろって、「で、どうしたかったのだ?」。 どうも、その表面的な重さとかスジがないとかそういう不満ではなく、製作のモチベに対する不満が大きくのこった。 やりたかった事はかなりうまいことやり切れたぽい完成度なのだが、なぜこれをやりたかったのか。 まさか溢れる軽薄な信者への警鐘なんてアホなことじゃないだろうし、無神論者にはエンターテイメントとしてもアートとしてもなりたたないし、例の路線ならプライベートライアンが圧倒的にやれちゃってるし、なんかブラブラしてる感じでごっくんといけない。 ぼくがキリスト教にいつも感じる消化不良のモヤがそのままリアルな映像になったというかなんというか。 ぬう。

2004-05-02-SUN

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送