No.623 ついにアレがおちてきた

気持ちのいい天気なのでひさしぶりに歩いて会社へ。 護国神社の木々の葉の反射で全体に緑いろがかった涼しげな雰囲気がとても綺麗で、空気もおいしくて、朝っぱらからうれしくてニヤニヤ。 うれしいのにはもうひとつ理由があって、なんと、さっき、生まれて初めて、頭に鳥のフンが落ちてきたのだ! 家をでてすぐにipodの電池が切れてることに気付いてがっかりして、まあ自然音を楽しんでいくことにしようかと工業高校のわきの道の端を歩いていると、頭のてっぺんの左の方にピチャッ。 うわ、まさか!とおもって手でさわると、まさかもまさか、白と緑が混じったようなドロドロの液体が手にねっとり。 うひゃ!ついに、ついにぼくにもこのときがきた! 急いで匂いをかぐと、意外なことに、なんともいい匂い。 例えるならオリーブオイルのようなさわやかな植物性の油の匂い。 ふわ〜っとうれしくなり、しかしこのまま頭についてちゃまずいとなんどか手で髪をつまむようにしてぬぐい取り、コーナーミラーで確認。 大丈夫。  あんだけ電線の下に落ちてるもんが、今までなんで自分にあたらないのか不思議(というか不満)でしょうがなかったが、ついにしっかり、しかも服を汚すでもなく、体験できたのだ。 そこにきて護国神社の緑フィルター。 たまらん。  歩くのを楽しむのにはコツがいる。 目的地があるとどうしても歩調が知らず知らず早くなってしまい、そうなってくると気持ちのどこかに早く着いてしまいたいというベクトルの欲求がでてきて、せっかく歩いていってる意味がなくなってしまう。 はやくつきたいのなら車でいけばすむことだ。  なんで歩くかといったら、単純にこれがとんでもなく気持ちよくて楽しくて嬉しいからで、そう感じるには(特別な方法をのぞけば)ゆっくりきょろきょろしながら歩くというのが大前提になる。 上を見上げ、下をみつめ、後ろを振り返り、立ち止まり、横道に入り、匂いをかぎ、音に耳をすまし、そのうちなんでもないことから信じられないほどの感激をもらえることに気づき、涙がでるほど幸せな感覚に包まれ、細胞がふるふるふるふると震え出すのがわかる。 うまくいくとあきらかに「うっかり早足で目的地を急いでしまっていた時」とは違った感覚になったのがわかり、特に視覚の解像度が格段にあがるので、「あ、いま切り替わった」というのがあきらかにわかる。 視覚の解像度があがるとは、まず見えてくる光の情報量が圧倒的に増え、普段なら部分に凝視してはじめて分かるような情報が視界すべてからはいってくるという感じ。 しかも脳の処理も格段にあがっているらしく、その情報量についていけないとか疲れるというのでなく、すごく心地よい刺激のシャワーを気持ちよくすべて消化吸収している快感につつまれる。 そして時間的解像度もあがる。 つまりスローモーションのように感じるというか、遅くなるわけではないんだけど、なんか全部じゅわ〜〜〜っと、ぬめ〜〜〜〜っと分かっちゃう感じ。 結局脳がすごく早く回転するモードになっちゃって、打者がボールをインパクトする瞬間みたいなことになっているのか。 とにかくこのモードにはいるともう気持ちよくて気持ちよくて気持ちよくて気持ちよくて、とろけちゃいそうになるのだ。 音楽があるとさらにこれが楽しい!  音に対する感受も当然引きあがるわけだから、音楽だけみても普段の何倍もすごい聴き手として楽しめ、さらにそれが散歩そのものの刺激、つまり外界すべての強烈な刺激の移ろいと混じり合って、とてつもない快楽メディアがそこに生まれるの。 朝っぱらから。 朝のこの散歩がうまくいくと、一日その余韻でがんばれるし、帰りにまたそれが約束されていることへの期待というか安心感でなんでもできてしまう。 できるだけ早起きして歩いていこう。 梅雨用に雨合羽と濡れてもいい靴が欲しい。

2004-05-12-WED

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