No.637 またるーぷなのか?

どうもさぽちゃんす系狩猟民族頭首さぽこ先生が風邪をひいてしまったみたいです。 熱がでたのでうんと早く寝かせました。 お大事に。  ぼくもなんだか今週は変な憂鬱なリズムが低層に常に流れていて、なにをしていても心が晴れません。 特に理由はないと思うんだけど、夢を見すぎた日の朝のような、なにか気になるような、ぐったりつかれたような、妙な心です。 たぶんさぽの不調が干渉してきてるんだろうとおもいます。 さぽは体の不調が先か心の不調が先か、卵が先かニワトリが先かでどうやら世界の不条理と自分のふがいなさにやられはじめています。 この種の苦悩はぼくは常に首まで浸っているものなので、とても良くわかります。 しかしこの問題はとことんまでつきつめると自分も世界も消えて無くなるしかなくなっちゃうので、というのもNPOだとか海外青年協力隊だとか各種寄付金だとか、等身大でなくなった瞬間に、組織の裏側の利権とかいろんな現実のブラックボックスなどの、こちらが知る術もないくだらない無駄な抵抗(電気の抵抗とかのロスという性格の抵抗)要素が多少なりともでてくるのは当然で、どれが清浄で信用なるもので、なにがどこまで末端の個々のパワーが宇宙の役にたつかなんてわかりようもなく、どうせわからないんだったらわからなくても盲目的にわたしがんばるわ!なんてのは単なる自己満足でしかないこともわかっちゃうからそうやって「いい」とされるものに安易に乗っかって自分の「努力の量」のみに安心したりするのは違うと思うものだから、なにをどうしたらいいのかわからなくなり、だんだんと自分のそうした動機すらもあやしいものに思えてきて、健全な心とは「だまされつづけること」じゃないかという世界像が考えを支配し、向かうべき、拓くべき道のおおざっぱな方向さえもまったく見えなくなり、原因も結果も正しいも間違いも、個々の心のレベルに応じて発生している閉じた系のフィクションなんじゃないかと考えはじめ、がんばろうとする心に「おまえの考えたおまえのわかる範囲でおまえに都合良くかい?」という意地悪い野次がとぶ。 絶望。 しかし現実に生きてしまっている以上、絶望して無意味を悟って自殺するくらいならば、定年後のじいちゃんみたいに河原のゴミでも拾った方がなんぼかそもそもの信念に近いし世界にもいい波を送れるはずだ、ということはすべて超えた「事実」として了解でき、個人のレベルでそういうちっちゃい「事実」を信じてがんばることにはひとつも「違和感」を感じないから、やっぱりなにか圧倒的に「いい」。 ということでぐじぐじ心の闇の深層に潜っていくだけの体力があるのなら目についたゴミでもひろって倒れてる自転車でも起こして質のいいあらゆるものに投資していようぜ、そしてなるたけ不自然なことはやめて、でも時代も考えてマスク無しで腐海にいくのは間違いだと認めてその時代における不自然と自然を見極めて、見極めるそのための目を鍛えて、鍛えるためには気持ちを安定させて日々を健全にすごして、健全にすごすとはつまりだまされつづけて、だまされつづけて、本質を見逃すことで、、、、、うーん。 

2004-05-26-WED

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