No.668 人が大好きな日だった

頭はすごくはっきりしているのだが、なんだか腰が疲れて、2時間経過後のバストエフスキー(お風呂でドスト)は集中力が乱れてきた。 もうちょっとでこのエキサイティングな「大審問官」が読み切れるというのにもったいない。 が、どうしても仰向けで腰を伸ばしたくてたまらなく、なくなく中断。 欲望のままに畳で腰を伸ばし、そのまま大審問官再開。 16世紀、改革の異端者を処刑するカトリックの神父のところにキリストが現れ、神父はキリストと悟ったがゆえにキリストを牢獄に入れ、明日おまえを処刑するという。 そしてその夜の二人の会話(といってもこの大審問官ではキリストはいっさいしゃべらず、神父が一方的にキリストに自分の考えを話し続けるのだが)が数十ページにわたって続く。 作者のカトリックへの思いが、この大審問官という、23才ぐらいの頭のいい青年の書いた叙情詩という形で作中で語られる。 これはおもしろい。 理想と現実のギャップをあらためて思い知らされる。 少数派の理想論は多数派を抹殺するという、目をそむけていた現実をあらためて考えさせられる。 問題は単純ではなく、考え抜くと、そのステージそのものがシフトを強いられ、またリセット。 おもしろい。

さぽが帰ってきて、うどんをつくってくれた。 食後昼寝をはじめたので、ぼくは洗い物をしてカラマーゾフ中巻を探しにでかける。 北八文字屋で発見し、フライの本など立ち読みして、店オーラで体がだるくなってきたのであわてて河原へ。 サンダルだったので脱いで手に持ってはだしで堰堤を歩いて向こう岸へ渡る。 歩いたところは堰堤の端のコンクリのオビ状になったところで、水はせいぜい2センチ程度で、冷たすぎないからとても気持ちがいい。 渡ってすぐのコンクリの四角い塊がちょうどベンチに丁度いい形だったので、そこに座って読み始める。 景色、空気、音が気持ちよすぎて、集中できすぎることで集中できない。 幸せと健康がからだにみなぎる。 河川敷なので犬の散歩をする人が多く、ぷりぷりうんこをする犬の肛門にビニールをもって待ち受けるじいちゃんのそのすてきな絵に興奮したりしながら川マーゾフを楽しむ。 ふと横をみるとおばちゃんと犬が気付かないうちにかなり近くまできていて、思い切り目があったので「こんにちわ」というとおばちゃんもバリアをといて恋人のようにしゃべりだした。 メスのイブを撫でながらおばちゃんと他愛のない話をし、別れ、そういえばぼくは昔から知らないおばちゃんと当たり前のように仲良くなれるという変な特技があったけなーと思い出した。 カラマーゾフの中で、例えば不幸な人に対して、その人らの顔を知らなければすごくやさしい気持ちで援助できるが、実際にひとりの人間として顔を見てしまうとその愛が途端になりたたなくなってしまうというようなことが書いてあって、なるほどと思った。 ちょっとこの書き方だと誤解があるか。 例えばテレビでちらっとみたストリートチルドレンなんかに同情して自分もなにかしなきゃと思った人がいて、で、その子供が突然自分の家で住むことになったとして、その「顔」を現実に見たらどういう気持ちになるかという話。 これでも「顔」がどうしたといわれたらもうそれ以上は言葉ではいいようがないんだけど、しかしこの「顔」をみたら「お終い」というすごいポイントを赤裸々にかたった登場人物はある意味ですごい誠実だなと感じた。 で、その記号としてなら愛せるが個人となるとキツイみたいな感覚を意識していたところに、さっきのおばちゃんがきっかけになって間逆の感じが立ち現れた。 つまり、普段、記号としてとらえて嫌悪するような対象である、漫然と生きて何かにのっかてるような人でも(さっきのおばちゃんがそうだというんじゃないが)、ぽんっと一対一で接したとき、ぼくは基本的に人間が好きだなという感覚を思い出したの。 これはちょっと革命的で、自分の中でなにかがコトンと動いた。 社会ありきでみると、ほんとに我慢ならないような人ばかりで、ほんとにイライラさせられて、心がぎゅーっとなるようなゆるせないことだらけで、ぼくはてっきり自分が極度の人間嫌いになってしまったものだとばかり思っていたのだけど、しかし動物対動物としてなんの目的も囲いもナシというシチュエーションでは、ぼくは人間がとても好きなんじゃないかと。 だからどうだということもないんだけど、しかしこれはちょっとしたぼくの心のパラダイムシフトなの。 そしてさっきの「顔」を見るとなりたたなくなるという「現実」と、この「顔」をみると大好きになるという「現実」の二つの間逆の「現実」が同時に成り立つというパラドックスが、なんともリアルで心地いいなあと感じた。

あんまり気持ちいいので護国神社にいってベンチに寝ころんで空と木の枝葉のものすごくシャープで複雑なコントラストを楽しむ遊びを考え出し、しばらくはまってしまい、ようやく抜けだして帰宅。 さぽは起きていて、マーカスにあげる判子に添える手紙を書いていた。 全然忘れていたのだが、今夜はマーカスの誕生日祝いってことで、ジオスの面々と飲み会があるのだった。 飲み会もとても濃い内容で面白かったのだけど、ちっと書き疲れたので要点だけ。 さぽがあげた手彫りの判子(前回飲み会の時にうちらがつけた「幸虎(サッコ)」の当て字)は大好評で、これを日本での認め印にしてくれるとのこと。 で、明日、マーカスとマコリッシュと次郎くん(井上さんというんだけどあまりにもコジコジに出てくる次郎くんにそっくりなので)と蔵王の大露天風呂にいこうぜという約束をしてお開き。 予定外にピアレにもよって久々にオリヤと遊ぶ。 初めていったときにいたノリちゃんがいて、少しして飲み屋ではたらく強烈なキャラのこちらもノリちゃんが登場。 このノリちゃんがすごくいい! 嘘のかけらもない気持ちよさに、ぼくもさぽもまいった。 こういう飾り気のない馴れ馴れしいマイペースな、それでいて極度に心不安定そうな人が大好きだ。 動物の心だ。

2004-06-26-SAT

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