No.687 正食

マクロビオティックについては以前からちょびっと気になっていたんだけど、さぽが買ってきたオレンジページの特集やら自然食品の店からもらってきたフリーペーパーやらみながらしゃべっていて、あらためていくつかの衝撃的事実に思い当たった。 まず、肉を食べると攻撃的な性質になり、野菜中心だと穏やかになる、というやつだけど、これは我らが友であり七日町の理学博士、日下部さんが実際に試したことがあり、しばらく肉ばっかり食べてたら本当にケダモノのような精神状態になったという結果がでていて、というかそんなことするまでもなく感覚的にそらそうだと知っていたことなんだけど、そもそも「肉食動物」と「草食動物」ってのがまさにそのままそうじゃないか!とここにきて気付いた。 ライオンとかシマウマとかわかりやすいほ乳類もそうだけど、昆虫にしたってアリやカマキリなんかの肉食中心のやつらは顔つきがやたら恐ろしく、その獰猛な性質がうかがえるし、逆に基本が草食のキリギリスのあののほほんとした顔ったらない。 そして、というか、逆なのだ。 逆。  「肉食がおそろしいオーラをはなつ」ではなくて「肉食のもつ特徴をおそろしいと感じるようになった」が正しいのだ。 補食される側は、補食される可能性のある敵の特徴を「おそろしい」と感じなければいけないのだから、あの「おそろしい」がもつ特徴というのは単純に物理的に補食しやすい形であっただけなのが、補食される側がつけたイメージで、そういう形が「おそろしい」ということになってしまった。 なんかさっきから当たり前のことしかいってないんだけど、こういう風に当たり前だと気付けてなかった。 話がそれたけど、そういう当たり前の中におそらく「人間は本来動物の肉を食べる必要はない」てことも入っているんだろう。 その土地のその時期にとれるものを丸ごと食べるべきというのもすごく当たり前のことだと思う。 動物は特別おかしな環境でない限り、当たり前の事を当たり前にしているけど、人間は十分な一般的環境にあっても自ら特別な状態にしてしまう。 目に見える欲望によって、目に見えない「正」をないがしろにして、「正」がないがしろにされれば当然「歪」が生じる。 ぼくらはすっかり「正」が失われた状態を最初から「正」だと教えられて生きてきたのだから、今さら「本来人は肉をくわない」とか「牛乳もいらない」とかいわれると、あまりにもつらい。 なかなか納得できない。 「不治の病にかかった」レベルの事件でもおきないとなかなか実行しようと思えない。 しかし、「穀物野菜中心の食事は洗い物がとても簡単で水だけできれいになっちゃうのに比べて、動物性の油がこびりついた皿はなかなか綺麗にならない。 これは同じ事が体のなかでも起こっているわけで、しかも体の中はお皿と違ってたわしと洗剤でゴシゴシなんてできないからあのドロドロベトベトがいつもこびりついたまま」と考えると、そりゃいろいろ調子悪くなって当たり前だと思うのだ。 これですっきり健康な方がおかしい。 なんか、だれもかれも、みんなフィクションの中に生きているようなもんだ。 ひとつひとつこうして考えていけば全ては当然のことの積み重なりで、いろんな因果関係がオカルトや宗教ぬきで、データなんかなしでも数学のように絶対的に一撃で納得がいく。 それなのに、おそらくこんなことを書いたぼくでさえ、こんなのを読んだ人でさえ、その時はちょっと気にしてるんだけど、そのうちまた目の前の欲望の方が何倍も大切になってしまい、それを肯定するべくまたフィクションの世界に帰っていってまう。 欲望というのは本来生存や繁栄のために最善の行動がとれるようにプログラムされたものであって、そのとおりに動いてさえいれば一番良い状態にあるべきもののはずなのに、どこで歪んでしまったのか??  それとももっと大きな流れの「最善」は人間が健康であってはならない、存続するべきではないということなのかしら?  そしてこうした「正食」を真剣に考えて実行できる一部の敬虔な種族こそ「残るべき」ということか??  なんてなことを電波らしく書いてみても、そんなことはいうまでもなく「当然」のことで、自然の摂理をわざわざ文字にしているってだけなんだよなー。

2004-07-15-THU

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