No.711 高松次郎

30分ほどで最寄り駅に到着。 タクシーでアパート前のコンビニまで移動し、おいしいおつまみを用意してくれてるらしいのでつまみは買わずに主食のカップラーメンなどを買う。  アパート3階の部屋は思いのほか広く、これなら10万こえてもしょうがない。 シャワーをかりてベタベタの身体を流し、家着に着替えてすっきりする。 と、風呂からあがるとなにか様子がおかしい。 聞けばいまから警察がくるというじゃない?  なんと、外出中に泥棒がはいったらしいのだ。 正確には「はいって」はおらず、窓から手を突っ込んでものを盗っていったらしく、みきてぃのブローチがふたつ無くなっていた。 実はこれが初めてではないらしく、こないだもなにかちょっとしたものを窓から盗られて、それが郵便受けに返されているという奇妙な事件があって警察をよんだのだそうだ。 あきらかに窃盗目的ではなく、愉快犯あるいはストーカー的犯行。 窓を閉めず、よくホームセンターなんかにおいてるネジ式でつっぱらせる鍵で網戸を固定していたらしいのだが、犯人はおもいっきり網戸をあけてその鍵を外し、ものを盗ってまた網戸を閉めていったようなのだ。 しばらくして警察がきて、事情聴取や指紋採取をはじめ、なにやら大変な事になってきた、のだがみんなが心配そうにそれを眺めていてもしかたないので、みきてぃは飲み準備、ぼくらはその辺でゴロゴロと、ムードとしてはお気楽だ。 そのうちともも開放され、若い警察官が書類作成のためにいろんな部屋をみてまわったりなんだりし、ちょっと気がひけながらも時間も遅いので(もう2時近い)乾杯させてもらう。 ラーメンをたべつつうんとうまいつまみでビールやら日本酒やらいただき、若い警官がちょっと書類をミスってしまったので一度もどってもう一回くるというので、ごくろうさまとみきてぃ手作りのお菓子をあげる。 とても素直でかわいい人で、最初ちょっとことわったけどすぐにとてもありがたがってもらっていってくれた。 40分くらいで戻ってきて、うんと美味しかったとニコニコ顔でいってきた。 若い人は形式よりも素直な感情をきちんと尊重するから気持ちが良い。 まみれずすてきなおまわりさんになってほしい。 4時ぐらいまでとても楽しく飲み話し、寝る。 とももみきてぃもとても気持ちがいい賢いかわいい人たちなので、ほんっとに楽しい時間が過ごせた。 人見知りというか警戒の激しいさぽも、心から気持ちよく過ごせたとしきりにいっていた。 どうもありがとうさまでした。

10時に起床、美味しい朝ご飯をいただき、お昼に出発。 バス停まで送ってもらってそこでお別れ。 ほんとにお世話様でした。 ぜひ今度は山形にきてちょうだい。  さて、何本か乗り継ぎ、向かった先は府中市美術館。 かずとゆきえが掲示板で大絶賛で教えてくれた、高松次郎展がどうしても見たくて、せっかく展示中に関東にいるんだからいこうぜということでやってきた。 帰りの新幹線の時間があるので逆算するとかなりギリギリぽいのだが、やってきた。 京王線を東府中駅で下車、そこから数百メートル歩くと劇場を角にもつでっかい公園にぶつかる。 緑いっぱいのほんとに大きな公園。 その中を突っ切って、並木道を1キロほど歩くと右手に美術館が現れる。 ほとんど詳しい知識も情報もないままふたりの絶賛を信じてやって来たのだが、この人の作品ときたら期待以上にすごかった! 代表作「影」シリーズは、実物を見るとほんとに不思議な恐ろしさに包まれ、その恐ろしさの正体はコンセプトである「不在」を見事に体現できているということに他ならず、その哲学の徹底追求の姿勢に、そしてそれをどんどん実現していってしまう狂気とも誠実ともともいえる異常な執着心にしびれた。 平面図でも、側面図でも波打った柱が、ある角度からはまっすぐに見えるという作品があり、見え方はまっすぐなのにほんとは波打っているわけだから谷のところに上からの照明の影がうすくできていて、縞模様が浮かぶのだが、それがどうしても影にはみえず、まっすぐな柱に色がのっているようにしかみえないのだが、しかし角度を変えると柱はやはりうねうねしていて、さっきの色は影に他ならず、うーーーん、おもしろい。 最初からパースをつけた立体物や、平面にかかれた波線が3次元の波に見えるものなど、アートとしてでなく子供がみても単純に面白いような作品がたくさんあるのだが、単なるだまし絵的なことで終わっていないのはその習作ともいえるドローイングが語っている。 緻密な計算と、コンセプトがみっちりとかかれた殴り書きのドローイングは作品に確かな裏付けを与える(本来そんなもの作者は見せたくないだろうけど、天才肌の人間が毎日毎日ひたすら考え抜いてついに世に出せる合格点をだせたようなものは、ひょいと見た瞬間にこちらがすべてわかるはずもなく、こういう考察の跡を見ることで、リアルに「どこまで思考した結果なのか」を垣間見れることができる、といった意味で)。 もともと習作好き(シーレやピカソは圧倒的に習作の方が好き。)、ドローイング好きのぼくとしては、この企画展のコンセプトに拍手を送りたい気分(この企画展はざっくりいっちゃえば作品とドローイング【中にはほんとに習作といえるものや、作品のための計算メモなんかもあるのだがこれがまたかっこいい!!】をまぜながら説明を踏まえて多角的に丁寧に見せることで、難解とされる高松の表現しようとした世界の切り取り方、捉え方をちょっとでもたくさん一般人のぼくらも共有しようぜという趣旨)。  しかしこの人の、徹底的に世界を分解して自分として納得のいく捉え方をしてやるという精神はすごい! ぼくなんかてんでおよばないすさまじいレベルで「のっかる」ことを拒絶し、ありのままの、世界の、宇宙の実態をなんとか表現しようというモチベーションを一生涯もちつづけ、作品を作り続け、常に自己否定を忘れずどんどんどんどん真実にせまるさまは、もちろん完全についていけるものなどいないのだけど、しかしついていこうとするもの、彼の姿勢を美と感じる者にとってはあまりにもエキサイティングで、頼もしく、うらやましく、美しい。  脚立の足のひとつだけ浮かせたものや、いくつかの立体作品はぼくの理解を完全にこえてしまい、まったくいいともわるいとも思えず、くやしかったのだが、しっかりと地に足ついた着実で緻密な思考の旅をしていることを前後の作品やドローイングで知った上でこういうデュシャンの便器的アプローチを見せられると、素通りせずその意図を、そのときこれに見いだしたであろう秩序を、美を、じぶんもすっかり同じように味わいたいという強い思いが生まれる。 しばらくふんばっていろんな角度から考えていろんな解釈を試みたのだが、しかしやはり響いてこない。 なさけない… しかし晩年のドローイングはあまりにも美しく、直接的に響いてくるもので、しかもその習作的ドローイングにかかれた細かな計算の跡がもうぼくは恐ろしくて恐ろしくて、なにが恐ろしいって一体この人はこの時何をみて、何を測り、これまでの何を採用して、そして何に納得して、世界を写し取ったであろうこの絵のさまざまな要素(ほんとにこまかく線と線の距離や角度やなにかが数値化された設計図みたいな習作で、完成品は岡本太郎よろしくな有機的で単純で鮮やかな線の筆致にスピード感のあるものなの)をこれほど確信をもって割り出したのか????というところにつきる。 圧倒的な確信に基づいて、世界の方程式を割り出し、それを迷うことなくキャンバスにうつしたといったすごみなの。

期待の何倍もの大満足で美術館をあとにし、まあ新幹線は余裕だろうと電車にのって新宿に向かうが、どうも遅い。 30分で着くとはっきり駅員さんから聞いたのだが、もう30分なんかとっくに過ぎている。 どうも30分というのは途中で急行に乗り換えるというのが前提の時間だったらしく、ぼくらはのほほんと各駅停車に乗っていたのだ。 あわててちょうど停車が揃った快速に乗り換え、すこし持ち直すが、しかしそれでも時間がやばげ。 新宿から山手線に乗り換え、内回りで東京駅へ。 画面にでる到着までかかる時刻から逆算すると、この列車が東京駅についてぼくらが乗る新幹線が発車するまで5分くらいしかない。 山形新幹線はホームに降りてからがけっこう遠く、しかも今日は帰省ラッシュが始まった頃で駅構内が混雑しているのも予想できる。 これはやばい。 祈る思いで画面を見つめ、駆け込み乗車をいつになく恨み、時計をにらみながら東京駅構内の位置関係をシミュレーションする。 秒の遅れが命取りだというのに、大崎あたりですでに1分以上遅れが出ている。 これは無理だ。 なかばあきらめ、最悪自由席にも座れないことを保険想定しはじめる。  が、最終的にははじめの逆算どおり5分前に到着。 いける! 脇目もふらず、いっさいの無駄な動き無く人の波をかいくぐり、新幹線のホームをめざす。 階段をおり、ホームに出ると電光掲示板に「17:36 TSUBASA」の文字。 そして時刻は17:33分。 間に合った!!!  まだ油断はできないと指定車両へと急ぎ、無事に行列に合流。 よかった!  おみやげも弁当もビールも何も買えなかったが、とにかくよかったー。

便所臭い車内でまずい弁当と高いビールを買い、食べ、飲み、ほんで20時くらいに山形着。 コンビニでお菓子をかってタクシーで家に帰る。  今回の旅もものすごく楽しかった。 ぎゅぎゅっとつまった、目的のしっかりした旅ってのもいいもんだ。 次は10月! ジョアンde3泊!!!

2004-08-08-SUN

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