No.734 またちらかった

本調子でない。 なんか微妙に気持ち悪い、そして目がかゆい。 秋の花粉症がきちゃったか???  ぼくはどっちかっつーと春より秋の方が身体がおかしくなるんだったよそういえば。  んん。  最近我が家はちょっと本格的にマクロビオティックやっちゃうか?モードに入りつつあるのだが、しかしまだ思い切りが付かないでいる。 ちゃんとやっちゃうとぼくら、間違いなく今以上に「世間的にとっつきにくいめんどくさい存在」になることは間違いない。 ただでさえ頭のおかしい身体の弱いオカルト傾倒のふたりが、こんな極端な宗教をはじめてしまっていいのだろうか?という畏れがふたりのあたまのどこかかたすみにある。 絶対なんてものはないから、何をどうするにしても「割り切る」ことが必要になる。 「割り切る」とはつまり部分的なプラスの価値のみを「ぎんっ!」とにらみつけ、信じ、マイナスになるようなことは見て見ぬフリを決め込むということだ。 「美味しいもの食べて、それで病気になって死ぬならそれでいいじゃん」も割り切りだし、「正しい食事(と一部の人間の実証によってされている)をすることで本質的な健康と正しさをとりもどそう、それによって浮世離れしたり早死にしたりすることはきっと正しいんだ」というのも割り切りだ。 どこに価値を見いだすか、どの段階(進化の過程)の「人間」を正しいものとして基準にするかによって、なにをどうすべきかなんてことは大きく変わる。 180度変わる。 ナウシカでは腐海が実は汚染された大気を浄化してくれていた、がしかし完全に浄化されたところではもはや濃すぎて生活できないような順応をすでに人類はしてしまっていたという皮肉がとても印象的で芯をついているが、それと同じ事がいえる。 すでに汚染されたベースの上(しかも日々変化する)で生活していくにあたり、一番最良の選択がなんなのかを理屈だけで割り出すのは絶対に不可能だ。 抗生物質の進化にともないウイルスも進化する、なら抗生物質の開発をやめればいいのかといったらそういうわけにもいかない、そういうわけにもいかないというその背景には「何」を人類の目標とするのかといったことがつねにあるわけで、単に目先の存続というのであればひたすらいたちごっこを続けるしかないけれど、長い目での再生のためには一度決定的なダメージをうけても正常なところまで戻さなくちゃいけないということもいえる、というか、そもそも人間の存在そのものが奇っ怪で不自然なものである以上、その人間が「正しい生き方」もくそもないといっちゃないんだけど、しかしそうグローバルに手厳しく見ることにさほど意味はなく、というのは個人レベルへの影響においてということで、やはり自分とその周辺、を考えたとき、(つまり実際に自分がリアルにちゃんと考えて影響をおよぼせる範囲内で考えたとき)、どこに基準をおいてどうするべきか考えて食事の方向性を決めるというのは、とても大事な意味のあることで、そしてそれを決める決定的な柱となるのは己のなかの信念に他ならず、ぼくの中の信念は何かといったら、正しく、静かに、美しく、誠実に、深く、暗く、といったベクトルで、分かりづらいのでそのま逆はなにかといったら無駄な資本持ちの俗悪な妬みとか無知による目先の欲への盲目的追従とかで、つまりすっとこどっこいな不細工なものは大嫌いで、毎日肉しか食わないとか、ハリウッドアクション映画しか見ないなんてのはまさにすっとこどっこいの骨頂で、その方向で考えていくとぼくはどうやら粗食により正しさや美を感じるような種類ではあるようで、しかしそれを盲目的に信じ切って「割り切る」ことにも抵抗があるようで、しかしそれを実験的に一定期間やってみて様子をみるというようなことにはすこぶる好奇心と実行欲をそそられもするわけで、つまりいってしまえばどっちにしてもありじゃない?と心からおもっちゃってるわけで。 うん。  なんか食わなきゃ食わないで肉とか卵ってそんなに欲しくなんないし、良く噛むようになってからよくない調味料とか保存料とかがとても敏感にわかるようになってきて、味も濃いものはちょっと嫌悪感をおぼえるほど強烈に感じるようになってきたしで、ほっといてもおかしな偏った食事はしないような気がする。  うーん、またちらかった…  さいきんめんどうくさがりやになってきた。

2004-08-31-TUE

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