No.739 あせるあせる

午前中はのんびり過ごし、1時にさぽを迎えに無印へ。 無印の新しい綿のカットソーの質感がかなり好みで即買。 基本的に無印メンズはイタいのが多いんだけど、このシリーズだけはほんとに質がいい。 トップスにもインナーにも使えてほんとに経済的。 もともと破格だし。  お昼ご飯をシベールで食べようということになり、ランチを注文して二階にあがるとなみちゃんと葛西さんがいた。 隣にすわって一緒にランチ。 とろろハンバーグ丼というやつを頼んでみた。 ひさびさに外食すると、やはり味がきつく感じる。 マクロビ傾向と50回以上咀嚼によってかなり味に敏感になってきている。  自然にやさしいお店コヤマにいき、玄米やらみりんやら焼酎やら、基本的なものを買う。 ちゃんとしたもので揃えようとするとやはり金がかかる。 うーーん。  オーバンにいき、水をもらい、家にかえる。 なにもしてないのにもう休みが終わりそうだ。 連休がない週が3回続くと、時間の少なさに対して過剰に敏感になってしまう。  このぐらいの休息で、これっぽっちの自由時間で、また次の週に突入することに精神が耐えられない。 実際にやりたいことがあってできないということもあるのだが、それ以前に、時間の少なさという観念上の重圧に無意味に押しつぶされそうになる。 とにかくあせる。 なんで毎日12時間以上も、週のほとんどの日を、労働にあてなきゃいけないんだろうか? なんでこれが当たり前になっちゃっているんだろうか? なんだかバランスがおかしい。 誰が何をのぞんでそういう基準ができちゃったんだろうか? 全員がいっせいのせでのんびりする生活に切り替えたらそれですむに決まっているのに、それじゃ都合の悪い人たちがいる。 醜いムラがある。 はあ…  毎日夜中まで働いているうちの会社の女の子たちはどうしてあれで大丈夫なんだろうか? あきらかに不誠実に働かされすぎていることは分かっていると思うんだけど、何年も何年もそれに耐え続ける。 すごい、立派だ!とか、馬鹿だなー、やんなきゃいいのに、とか、そういうことじゃなく、本当に、こころから、理解不能。 どういう気持ちで現状を肯定しているんだろうか??  ぼくの基準が甘いのか??  人はもっともっと働かなきゃいけないのか??  このぐらいの労働をしたらこのぐらいの価値に換算されるという感覚は、大体人類共通して納得のいく基準みたいなものがあるとおもう。 結局それは一番シンプルな形、つまり物々交換で考えるとわかる。 誰かが生み出すこのくらいの価値は、ワタクシの生み出すこのくらいの価値と交換したい、という、それ。  それに基づいて考えたときに、足りなすぎたり、もらいすぎたりすれば、まともな人間であればその不自然さに気持ちが変になってしまう。 具体的に計算なんかしなくても、直感的に気持ちがいい、とか気持ちがわるいとか感じるもんだ。 これはもらいすぎだ、気持ちが悪い! とか。  その感覚にしたがえば、ぼくは自信をもって、堂々と定時に帰れる。 みんなそうだとおもう、が、しかし、もっと大人なんだな、みんな…    ぼかーだめだ。  とてもだめだ。

文翔館のベンチで、夕闇の中、ひとり本を読む。 いつものとおり、自転車でくるくるまわっている人たちが数人、実におもしろそうだ。 さぽが花を買ってきた。 夕方に飲んだ芋焼酎のせいか、さぽは9時ぐらいに寝た。 眠くてもうだめだ…   ぼくはカラマーゾフの続き。 1時間くらいして眠くなってきた。 もったいないので散歩に出かける。  めずらしく緑町の住宅ゾーンを変質者のように歩く。 各家庭の空気、気配を存分に感じてやろうという気持ちで歩くと、こういう町はとてもワクワクして楽しい。 お風呂の音なんか聞こえると、一瞬にしてエロい気持ちが胸を切なくする。 のぞきとか、盗聴とか、そういう欲望がわきおこる。 エロ抜きにしても、のぞきとか盗聴というのはすごく魅力的だ。 ぼくには確実にそういう性癖がある。 ゴシップ的な欲求はなにもない。 ただ純粋に、こちらの視線、こちらの存在を知らないひとの様子をのぞき見るということに、この上ない幸せを感じる。 だから対象が動物でも昆虫でも、植物でもいいのだ。  意識次第で、このただの散歩もそういう楽しさでいっぱいになるな、なんておもいながら大満足で帰宅。 なにか変な時間の使い方がしてみたいとおもい、なんとなく予約録画しておいた「バイオハザード」を見てみる。 なにがよかったって、主演の女の人が予定外に露出してくれて楽しかった。 まさかこういう映画でこんな綺麗な主演女優がお乳を見せるとはおもわなかった。そしてこういう時、HDレコーダーってのは実にいい。 

2004-09-05-SUN

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