No.791 ジョアンの魅力

やっべー。  あらためて本格的にジョアンのすさまじさがわかってきてしまったみたいだ。 曲を覚えようと2日間仕事中ずーーーっと三月の水をリピートで聴いてたんだけど、あんまりずっと聴いてたら、脳が鍛えられたか順応したか、あらゆる意味で、彼のスピードについて行けるようになってきた。 おそらく思考のスピードということなんだろうけど、まあついて行けるというのは言い過ぎかもしれないけど、でもただの斜め線でなく雨粒を目で追って水滴と認識できるぐらいに目が慣れてきた、という感じにはなってきた。 今までだって相当集中して聴いてたはずなのに、それでも見えてこなかったいろんな神憑りの小細工がどんどん微分して理解できてきて、具体的にいったらそれはボーカルの(というか時には言語の)イン(シンコペーション)の緩急だったり、代理コード(部分的、瞬間的に転調させて、本来のキーにおける「あるコード」の働きとか響きを別の角度からみせることができる。この人は、というかジャズは純粋な意味での代理【構成音が近いものを使う】コードのときもあれば、曲そのものを瞬間的にシフトさせることも頻繁にある)の嵐だったりするんだけど、一つ一つがとんでもないアイディア、技術にあふれたあまりに贅沢な小細工だというのに、それらがリピートする曲のなかで複雑に相互にからんでくることで、全体としての「芸術」が生き物みたいにウネウネウネウネ考えながら、進化しながら、形を変えて趣を変えて美しくうつろいでいく、それが、その恐ろしくもすばらしい体験が、これまでにまして鮮烈に感じられるようになってきたのだ。 例えば大好きなビルのピアノトリオ(ラファロ+モチアン)。 同じように、とんでもないレベルの、神憑りの演奏なのだが、決定的に違うのは、あちらはそのすさまじさがあるていどの耳をもっていれば一撃で感じられる、ということ。 インプロバイゼーションの醍醐味を感じさせてくれる要素が、隠れることなく派手に各所に存在している。 あのラファロのユークリッド幾何学外の未知の数学のようなベースにビルの恐ろしいほど神経質で繊細なピアノが完璧にからんだならば、誰だってびくどきっとする。 例え油断していたとしても、びくぶるっとしてしまう。 しかしジョアンの音楽は、或る程度の集中力、ファインアートとしてしゃぶりつくしてやるぜ、という気合いと体力がないと、簡単に、楽しく心地良い音楽になってしまう。 奥にあるギラギラツンツンとしたとんでもないレベルの、とんでもない純度の芸術性が、すっかり影をひそめる。 ぼくが以前抱いていたボサノバのイメージはまさにその誤解した柔らかなイメージだった。  三月の水リピート行という苦行がぼくに見せてくれたボサノバの(といってもジョアン限定だが)本当の姿とは、ジャズ以上にジャズらしい、どんな現代的なすばらしい音楽よりも新しくとんがった、まさしく永遠のスピード(世界における光の存在のような絶対的存在、到達臨界的スピード)を手にした化け物みたいな音楽だった。  正直この側面がこんなに深いとこまで実在してるとは思っていなかった。 ぼくのなかの理想と想像力がかってにリアルに感じているのだろうと、どこかで誇張をみとめていたフィクションにしかありえないレベル、存在だったのに、なんとそれらをかるがる超えてすんごいスピードでつっぱしっていってしまう骨太のリアルを目の当たりにしたのだ。 人間か? あのじいさんは人間か?  うわ、だからみんな「神」とかいうわけか。 本気でいってんだ、ありゃ。  ぼくはてっきり比喩的賛辞だとおもっていた。 やややー、興奮してしまってだめだ。 一年聴いたアルバムがさらにまたここにきてこんなに光り輝くとは。  三月の水の昨日手に入れたコード譜はどうもピンとこなかったので今日ネットでいろいろな人にあたっていたら、ぴたりあってそうなコードを教えてもらえた、のでもうぼくは我慢できないので帰ります。 帰ってそれを基にボイシングの研究をして今日こそあの夢の演奏を! うひゃ! だれかB7/Aの理想的なおさえ方を教えてくれ。 7の音がどうしても足せない。 Aが7だからすでにはいってはいるんだけど、、、、、  って、あ! ベース音6弦が7なんだから1弦も7じゃんか!! 234じゃなくて123弦か! ドミナントノートは無くてもいい(3本足の椅子の重心は真ん中でも真ん中に足はいらないのと一緒)んだった! うわわわわわわ! 

2004-10-27-WED

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