No.805 ギャグだろうな

足が全然よくならない。 忘れないようにと軽い動きでtoe stoleの復習をするも、片足で体重を支えてる状態が股関節にとてもいけないねじりの負荷をかけるようで、こりゃいかんとすぐにやめざるをえない。 もどかしくってもどかしくって、とってもつらい。  ので、今日はジョアンデーにした。 ギターの弦は常に同じテンションの筈なのに、やけに柔らかく感じる日や逆にかたく感じる日があり、今日は前者でとてもスムーズに弾けて楽しかった。 そういう日は音も柔らかく自然で、緑町の暗闇にとても優しくイパネマが響く。 ボサのギターはまあ普通に譜面通り演奏すること自体は実はかなり楽で、リズムのパターンも決まっているので、一曲習得して手癖にしてしまえばあとはなんでもすぐに弾けるようになる。 たぶんギターさわって1ヶ月の人でもイパネマぐらいだったらコードも比較的おさえやすいからすぐに弾けるようになる。 だけど、和音のツブをしっかり揃えたり、ベース音とのバランスを良くしてそれを長時間のリピートにおいて維持しようとおもうととたんに難しくなる。 そして何より、唄を乗せようとした瞬間、レベルがノービスからいきないエキスパートに飛び級する。 伴奏とメロがそれぞれ好き勝手にシンコペーションしちゃってるもんだから、ほんっとにたちが悪い。 これはもう反復練習で自動的にできるようになるしかない。 伴奏をアホみたいに繰り返し、体にしみこませ、唄もなんの迷いもなくポ語がでるようになり、原曲どおりのシンコペーションを覚え込み、そうして合わせても一気にめちゃくちゃになる。 ほんとにむずかしい。 だからこそ出来るようになるともんのっすごく楽しいんだけどもね。

苦労して体に覚え込ませたものってのはほんとに財産だね。 なにがなくてももうそこには「できる自分」があるってのがほんとに強い。 だからほんとはなるべくギターとかパソコンとかいった特殊な道具無しでできる技術を取得したいとおもう。 体一つでできることってのは、ほんとに「できる自分」を作ってしまえばそれだけで価値を生み出せる。 すごいことだ。 口笛だってりっぱな技だし、なにかについて徹底的に考え抜く力というのも漠然としているようでとても実用的な必殺技だ。 ヨガの呼吸法や瞑想術をしっかり習得すれば、自律神経さえも操れる。 そういう身につけたいことが山ほどあり、ひとつの人生ではとても足りない。 理想ばかりがふくらみ、現実がついていかず、破裂しそうになる。 これが究極の悩みであり、同時に究極の幸福でもある。  なにか新しいことを、その価値や魅力がしっかり体に染みこむまで投げ出さずにしっかり係わると、それは自分から一生はなれないものになる。 たとえそれからしばらく遠ざかっていたとしても、絶対にあとでうまいことそれがハマる時期が巡ってきて、空白の時間に他の物事でスパイラルアップした全体スキルによってまた一つ深いところでそれと係わることができる。 ひとつのことを病的に極めることで得る力も、螺旋上昇によってあらゆる物事の価値の相乗を知りながら成長して得る力も、最後には同じところに行き着くのだとおもう。  ああ、しかしなんて悩ましいほど気になることがたくさんあるんだ、この世は。 ヒマだとかいってる人の気がしれない。 ギャグか、あれは?

2004-11-10-WED

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