No.819 外にでると気付くのだが

めずらしくあっちゃこっちゃ仕事で走り回った日だった。 いっぱいうごくといっぱい気持ち的に楽な時間もできるね、自然と。 それに仕事でいろんな人と接するのはこっちが弱気なアホでないかぎり楽しいことが多いもんだ。 座りっぱなしで悶々と産みの苦しみに呪われ続ける日々に比べると、夢のように健康的で、夢のように楽しい。 営業はさらにこっから、帰ってきてからの「制作」を省いたような日々を過ごしてるわけか。 そりゃ毎日残業してもお気楽でハイテンションなわけだ。 彼らがつらいと感じるところのほとんどは、彼らがだらしない性質であるが故にうけるいじめや板挟みでしかなく、やることしっかりやって、年齢や立場相応の最低限の智慧がちゃんとあれば全く生じる可能性のないようなものなんじゃないかと、一緒に打ち合わせしたり、外側からトラブルを眺めたりするたびにつくづく感じる。 自分のできる限りの誠実さでもって、リアルタイムで頭をぐるんぐるん働かせて、相手のいっていることを120%理解し、鋭く的確なリアクションをして、常に期待以上のアイディアをだし、場の空気を感じ、シチュエーションにあったより良い波長を発生させ、相手に信頼されさえすれば、そしてそうした状態に常に自分をおけるだけのトレーニングを日々怠らないというだけで、仕事上で嫌われることもいじめられることもありえない(嫉妬でうまれる嫌がらせなんてものがあるのかぼくはしらないけれど、嫉妬を感じさせるような有能ぶりというのはそれ自体自己管理できてない無能を証明するものであり、つまりそいつがバランスが悪い、誠意がない、くだらない人間だということなんじゃないだろうか)。  毎日座りっぱなしで悶々と産みの苦しみに呪われ続ける日々を送るものとしては、たまにちょっと出かけると、常に外回りしている人間に対してこうした疑念がしょうじる。 あの人達、ほんとにぎゅぎゅっと努力を集中したら半分の時間でおなじ仕事ができるんじゃないかしら?と。 こんつめて余裕のない労働をしようというんじゃなく、やるべきときにやるべき量でやることちゃんとやって本質的なゆとりを得ようぜという話。 ダラダラするのと楽とを混同しちゃってる。 いや、それ以前に楽と幸福を混同しているのだが…

2004-11-24-WED

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