No.870 モスで中原、そしてフィロソフィア

どうも今週は意識の焦点がびしりと合っている割に家では背中が痛くて早く寝てしまう日が続き、なんかいかんなーとおもっていたらそれを察したさぽちゃんすが今日は夕食も兼ねてモス読にするかと提案してくれた。 それだ。 3年くらい前に期待して読み始めたんだけどどうも乗れずに断念した中原昌也の「あらゆる場所に花束が…」という三島賞だかなにかとった小説が、なんとなく今になって響きそうだとおもって最近ひっぱりだしてきたんだが、なかなか読む時間がなかったから今夜当たりはとてもありがたいタイミングなのだ。 今度はさぽもipodがあるので(誕生日プレゼントにお正月に注文したのが届いた)、BGMがくどいときなどふたりでそれぞれ外音をシャットアウトできてよい。  買ったけどあまり聴くきかいがなかったdo make say thinkのアルバムがバランスよくとらえどころがなくてとてもかっこよくて、中原の描く荒唐無稽で卑小で繊細な世界にとてもよくはまった。

最近アウトブリード(保坂の哲学寄りの随筆)やら蒼天航路文庫13巻(派手な戦などなく、全編内政をじっくり描いてあっていつもと毛色がちがって、これがまた実におもしろい!)やらのおかげでなんだか気持ちの良い世界の捉え方、新しい視線の種みたいなものがどんどんはいってきてて、そこにさぽが脳とクオリアの本を読んでいろいろ教えてきたり聞いてきたりすることがまた刺激的で、意識、とか言語化の領域拡張だとか、連続という概念だとか、いつも酒を飲むと話すような内容の話題に盛り上がり、最後はふたり本をふせ、おしゃべりに夢中だった。  ほんでそこから逆に誘発され、そういえば最近ふたりで外に飲みにいってないんじゃないか?ということになり、そしてリアル今日はこれから週末の街に繰り出すところなのでございます。 どででん。 ざざん。

2005-01-14-FRI

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