No.886 せいいっぱい遊んだ

ちっと会社で大きなことが起きたので、日曜だけども早起きして、ほとんどの社員が黒い服を着て集まる。 30分くらいでことがすみ、解散、家に戻り、ちょろちょろ遊んで、お昼のそばめぐり第三弾は「梅蕎麦」へ。 ここは更科・(たぶん)10割の細いうんと上品なそばで、二色せいろを頼むとノーマルそばのほかに季節ごとにちがったものが練り込まれたイロモノもたべれるのだけど、ぼくらが今日たべたこの「柚子蕎麦」のおいしいこと! 細さと、コシと、蕎麦の風味と、柚子の風味とのバランスが、相性が、絶品!  もちろんはじめそのまま食べてみて、ぼくらが更科系に求めるところのおいしさがとても高いところでなしえていることにふたり大感激し、そばつゆなんかいらないやとおもったんだけど、ちょっといたずらしてためしにつけてみたら、これがうまい!! つゆだけなめると一見ダシが強くてぼくらの苦手なタイプだとおもったんだけども、なぜかこの蕎麦をつけてたべるとダシの攻撃的なとげとげしさがすっと消えて、蕎麦のおいしさがぐっとひきたつのだ。 不思議。 ほんとに、それぞれを単独で食べて判断したら確実に蕎麦の味を壊すようなものに思えたのになんでだ?? す、すべて計算尽くか?? 天ぷらの油もなにかおそらくナッツ系の甘みのあるものを使っていて、風味がとてもいい上に、海老が天然もののプリプリなやつですばらしくおいしい! 感激は最後の最後まで冷めず、というのはここのそば湯がいまだかつてみたこともないようなトロトロしたものだったからで、なんだろう、まるで葛湯のような濃厚なとろみで、そば成分が濃縮で、ぼくらはじめてあのそば湯のはいった四角い急須みたいなものを空にした。 山形にはこんなおいしいそば屋がまだまだあるっていうのか? なんなんだ??  もう普通だったら「ここが気に入ったからもうここにしかこないや」というようレベルの店をみつけても、そこにばっかり通うということにもならなくて(どうしても他も食べてみたくなるじゃないか)なんだか勿体ない。 あれだ、ぼくらはまずすべての美味しいとされるそば屋をいったん網羅しなきゃいけないんだ。 山形に住む蕎麦を愛してしまった人間の、これがカルマなのだ。 ぐぬ。

古本屋で漱石の有名すぎるが故に敬遠してきたタイトルをついに数冊購入し(最近同時期に集中してあらゆる角度から、「有名であるがゆえの悲しき偏見」がぼくらのなかで解きほぐされたのだ)、そのままスイーツ+読書にと「道」に。 ひさしぶりだ。 マリコ/マリキータの最終話「帰ってきた男」を読み終わり、あまりにも考えていることが我が家の電波ぶりに酷似していることに驚き、さらなる親近感がわき、もりあがったところで店を出、オーバンにいって水をもらい、お茶菓子をかって、ここ一週間悩みに悩んだDSのヨッシーを結局ヤマダでポイントをつかって購入し、使い切ったのにすぐに600エン分ものポイントが加算されたこの還元率の異常な高さにまた驚き(まあ他で買えばそれ以上に割り引きされているんだけど、でも消費者の心理をうまくつかんでいるのはやはりこのシステムだなと感心して)、家に帰り、お茶にする。 さぽはさっそく「こころ」を読み始め、「平成版こころ」といわれる既読の「彼岸先生」とあまりに似ている(彼岸先生のほうがこころに似ているんだけどね)設定に愕然、しかしこちらの方が数段上手だと感じたようで、彼岸先生でかなりやられたぼくとしてはいやがおうでも期待が高まり、その興奮をさっそくさきほど購入した「キャッチ!タッチ!ヨッシー!(以下キタヨ)」にぶつける。 評判通り、ファミコン時代を思わせる古き良きシンプルかつ中毒性の高い良質な作りで、そのおもしろさがじわじわと体に広がってきたころ、さぽがこのあまりにも変わったシステムの玩具に興味をもち、その瞬間ジャイアンのごとき猛々しさでこのひげ面のスネ夫から奪い取った。 ちゃんす先生はいわゆるPS2的なゴージャスで疲れてしまうような最近のゲームは嫌いなのだが、zoooやこのキタヨのような、いったら「テトリス系」の、純粋にスコアアタックを無心でいつまでもやってられるような類のゲームには目がないようで、その好みはとても普遍的かつ現代的な美意識であり、「ゲーム」というものの本質をいち早くみぬく審美眼はまさしく本物、と、ぼくはうれしくなる。  このキタヨは一切ボタンを使わずに、操作はすべてペンによる画面タッチという、まさにDSのためのDSにしかできないシステムがすばらしく、単純なルールと無限に続く自動生成のコースがプレイヤーを麻薬的にどこまでも魅了する。 ステージクリアとかボス戦とかストーリーとかムービーとか隠し要素なんてものをゲームに求めてしまう人にとっては、とんでもないクソゲーに感じるらしく、世評ははっきり二分してしまっている。 アンチのあまりの多さが、ぼくの購入の決め手となった。 大勢のアンチが必死になって叩いていて、ごく少数の人が本物だといってしっかりと良さを説明出来ているものの場合、まず間違いなくそれは本物だ。というのがぼくの経験知。 こういうとき大抵アンチのいっていることは逆にとれば良さでもあるのだ。  で、さぽがすっかりはまってしまっているあいだに読み始めた池澤の「南の島のティオ」がこれまた面白くて、なんだか今日のぼくはとても幸せ。 幸せついでに先週録画していた「やさしい時間」をみて、寺尾の激するシーンの演技力にすっかりやられ、この人は怒っている方が魅力的だなと知る。  DSのソフトが2つになったが、裸のソフトを持ち歩くすべがなく、せっかくちいちゃいソフトに対してパッケージはあまりに大きく、これは専用のちいちゃいケースみたいなものが欲しいなとケース探しの旅にでかけるが、結局どこにもなく、たのしい夜のドライブとなってしまったがこれはこれで面白かったから良かった。 とてもお腹がすいたのでコンビニでお弁当を買って帰り、夜中だというのにいっきに平らげ、そして寝る。 多忙な中の単休は、もうなんでもありである。 

2005-01-30-SUN

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