No.902 目のおさまるところ

なんとはなしに去年の今頃の日記を見てみたら、すっかり本の虫になっている一年前の自分がいておかしかった。 東北の冬は、光も匂いも暖かさも、それにともなって体力までも、一切が奪われてしまうので、自然と一番お手軽なインドア娯楽である読書に興味がいくようだ。 池澤の面白さに確信をいだくのもちょうどこの頃で、しかしその後にいたずらして手を出したドストにどっぷり嵌ってしまって、今回の池澤ラッシュまで延び延びになってしまったみたいだ。 日記をつけているとこういうことがあとからわかって面白い。  池澤といえば、となりでばかみたいに池澤池澤いってるもんだから、さぽもうっかり読み始めてしまい、そして完全に嵌った。 毎日同じモノ食べて、同じモノみて、同じところで同じ事話しているのだから、「何か」に対する反応もやはり同じになる。 これが違う場合、夫婦は成り立つのだろうか?

今日もひとりだったが、しっかりと起きてヨガをすることができてとても気持ちのいい朝を過ごせた。 しかしどうも最近ヨガをやっていてもあの異常なまでの快楽状態にはいることができない。 体調がすこぶるよくないとあそこまで大量の快楽物質は放出されないのだろうか? 体調子はすこぶるいいのだが、どうしても冬は外的要因によって自立神経が乱れてしまい、突発的にヘロインの禁断症状の軽いやつみたいなものが襲ってきて、おさまってからもあわ〜く神経の違和感が全身に残っている。 ヨガによる神経の制御、安定が、体にじわりとしみつく神経の乱れとせめぎ合い、どうしても心が水面のように落ち着かず、気持ちの良いときに自覚できる、あの目の裏側に意識が「ことん。」とおさまるような感覚が得られない。 もどかしい。  そう、目の裏側の感覚はとても気持ちよくて、しかも簡単にその片鱗が味わえるのでぜひ。  静かに目をつぶって、姿勢を正して(力はいれず)鼻呼吸で一回深い呼吸をする。 まぶたの中で眼球がおそらくちょっとだけ下に向いているとおもうので、それを意識して上方にもっていきます(目はとじたまま)。 ある角度がとても気持ちいいはず。 いらない力や余計な考えがすっと抜けて、じゅわ〜〜っと世界が変わる感じ。 ヨガが調子いいときに、この眼球の位置を見つけてそこに「ことん。」と固定できたときが、信じられないくらい気持ちいいのだ。  で、それが最近無い。  残念。

夜、ちゃんす先生が福島から帰ってきて、なんと公一船長の手打ち蕎麦を夕飯に出してくれた。 3人前の山盛りをおおかた平らげ、満足し、カシューナッツと焼酎で晩酌。 どうしても酒を飲んでしまうのも、やはり自律神経の不安定からきているのか。

2005-02-15-TUE

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