No.909 花を運ぶ妹

「子供の頃、二十四色のクレパスの中の肌色という色が嫌いだった。 他の色はみな論理的な色彩のシステムの中に組み込まれているのに、肌色だけは現実的要求から無理矢理作られてその位置に押し込まれた。 人の肌という、描かれることが多くてしかも最も描きにくい色をあらかじめ調合して用意しておく。 便利だからついつい使うが、しかし目の前にいる級友の顔はどんな時も決して肌色ではなかった。 なんとか修正したいと思っても、安直で卑俗で頑固な肌色はなかなか修正を受け付けない。 多種多様な人の肌を一色にまとめるというファシズムの仕掛け。 生きているものを死んだもののように扱う便法。 それがあれば素人でも一定の線までは行けるが、その先に出ることは絶対に許されないという衆愚の装置。 それが肌色のクレパスだった。」(池澤夏樹「花を運ぶ妹」)

ずっと感じてきて、今もあらゆるものごと、たくさんの人に常に感じるいらだちやもどかしさや悲しさが、ぎゅぎゅぎゅぎゅっとつまっていて、すごい。  小学生の時、空が青空だろうが曇り空だろうが、とにかく窓ガラスは水色で塗ることにしてしまっているたくさんの友人たちを、ぼくはとてもつまらないとおもって本当にがっかりして見ていた。 そういう子供は怒るべきところで怒らず、笑うべきところで笑わず、がんばりどころで逃げ出す。 そしてそういう子供たちがそのまま大人になったような人たちのせいで、世の中は随分と本来の可能性よりもつまらないものになってしまっている。 うっとうしく、うすっぺらく、なんら内容のないものに。  

いや、それにしても、この「花を運ぶ妹」、あんっまり面白すぎる! この人の小説のまさに集大成といえるんじゃないかしら?  ほんと、読み終わりたくない。 すごい。 獄中の兄(画家)の過去に逃げる思考と、それを救うべくリアルを精一杯戦う妹の視点が交互に章立てられ、アジアの生々しい情勢を背景に、ひとつの隠しテーマとなっている「水」が様々に形を変え、あらゆる場面に現れてはふたりの現在や過去を美しく、恐ろしく、彩る。 全編通して、じとっと、むわっと、むせかえるような湿気と匂いが感じられ、神話的でエロくて絵画的な世界がどんどんテンションを上げていく(物語がそうというよりは自分の波長があってきてすごい勢いで感じ始めたのか?)。 この世界を本気で楽しんでしまったなら、誰しもインゲボルグのいう「岩」になってみたいとおもってしまう。 要するにヘロインによる千年単位の時間感覚への興味を嫌でもそそられる、そういう風に書いている。 精神の「動」的・「能動」的な要素と、「静」的・「受動」的な要素を、兄妹に、また、ヨーロッパとアジアに、人と岩に、とんでもない構成力によって美しく対比させ、細部は全体と、奇跡の完成度でもって調和する。 すごいすごいとは聞いてたが、ここまでとは。 家に帰って、御飯を食べて、ちょっと読み始めたらしらないうちに5時間が過ぎていた。 もうね、第8章の美しさといったら!!!

2005-02-22-TUE

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