No.918 生き物は互いに身を寄せ合っていたいものなのだ

猫はあんなちいちゃい頭でも、ちゃんと嫉妬という感情をもっているのがなんとも愛おしい。 テレビに夢中になっていれば必ずひととおり騒いだ後に、にっくきテレビの上に乗り、ぼくらの注ぐ【視線=愛】を我が身に向けられたものということにしてしまう(さらにわざと大事な箇所にしっぽを垂らすことで、それでもテレビ側へ分散してしまっているとおもわれる分の【視線=愛】までも残さずすっかり我がものとするがめつさ!)という荒技を見せるし、同じテレビに視線がいっているにしてもゲームをやっている時なんてのは、本来わたくしを愛撫するために存在するはずの五本の触手が器用に動き回る、「1対のしげちゃん」が、わたくしをそうする以上に激しくしつこく熱中していじくりこんにゃくにしている対象である【コントローラー】に激しく嫉妬して、肘から折れて【コントローラー】に向かって狭くなっていく二本の腕と胴が作る狭い三角形の中に、信じられないような無理矢理さで入り込んで、あきらかに無理して「あ〜落ち着くわ」という顔で不安定なその場所でぐらぐら落ちそうになりながらくつろぎはじめ、終いにはそれをにぎる「1対のしげちゃん」ごと【コントローラー】を枕に眠りにつく。 これは読書をしているときの【本】にも適用される。  ここまでされると、むかつくとかかわいいとかおもしろいとか感心するとかそういうのを通り越して、「感動」する。 理屈抜きで、その強烈なエネルギー、彼女をそこまで突き動かすなんらかの力の存在に、ただただ心打たれる。 生き物のもつ、なにか絶対的なルールというか、とにかく存在する限り必ずついてまわる、一本すじのとおった行動原理みたいなものが、激しく心地よい。

先日ちゃんす先生が疲れ果てて炬燵に寝てしまい、気づいたらあぐらをかいて本を読んでいたぼくの右足を枕にしていた。 しばらくして、熱すぎたのか単に目を覚ましたのか、ミミがごそごそと炬燵の中から出てきて、ぼくとぼくを枕にするさぽの図をみて「にゃあ」と一声あげたとおもったら、炬燵布団の中でかいたあぐらが盛り上げる山の上にもそもそと登りはじめ、例のごとく小さな三角形目指して腕の下の小さな隙間を掘るようにしてくぐり抜け、ほんとに無理矢理そのスペースに入り込み、ごそごそもそもそとピッチャーが自分の納得のいくマウンドを作るようにじっくり時間をかけて居心地のいい場所をつくりあげ、そしてつい今しがた下をくぐり抜けてきたぼくの左腕(肘から手首)に手と顔をちょんと乗せて、当たり前のような顔をして眠りについてしまった。   夜中にあったかい部屋で、ゆったりとした気持ちで大好きな物語を読み、右足にはさぽ、左手にはミミの、それぞれの体重と体温と呼吸を感じているその状態が、とっても幸せだった。

2005-03-30-WED

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