No.957 植木市

なんつーか、人に文句なんか極力言いたくないが、文句を言わなくてすむような行いの健全な人ってのが、これがほんっっっっと少ない。 健全というか、最低限の誠実さというか、己の範囲で当然クリアすべきラインを超えるための努力がなされていないまま次行程、つまりぼくのするべき行程に送られてくる仕事が最近頓に多くなってきた。 「おいおい、これでおまえはお金のもらえる仕事をしたつもりか?」「常識的に考えてこのスペースにこの文字量がはいるとおもったか?」「こんなあからさまな矛盾、準備しながらおかしいとはおもわないのか?」「適当に準備してばれないように引き渡せばあとは誰かがどうにかするだろうという腹か?」「創意工夫という言葉はご存じですか?」というようなことを言わざるを得ない、杜撰な、目も当てられない、希望のない仕事をする人に次々に接さなくてはいけないとき、一体自分はどうすればいいのか?  言って分かる人は最初からちゃんと素敵な仕事をするから(というかそういう人はもう見た目が、スガタが、言葉が、動きが、全てが凛としているから)、結局どうしようもないだらしない仕事をする人ってのは見た目で一撃でわかるし、言ったところでそもそもその言葉を理解する精神も育っていないのだから今後どうにもならないことも分かっている。 それでも毎回毎回そのだらしなさを全て受け入れてこちらが黙ってすべての尻ぬぐいをするなんて馬鹿げたことは死んでもごめんなので、常識的な範囲で注意、文句、質問などしなきゃいけなくなるわけだが、先に述べたとおり、やはりあいつらは言語も思考もこちらの想像を絶するほど稚拙で、ずるくて、しょうもなくて、見当違いで、小さく、汚いので、相手をすればするだけただただこちらが嫌なおもいをするだけで、はぁ………   ふぅ………    そういう人に限って、表面的な態度はやたら腰が低く、注意されているときもひたすら恐縮しているだけで、「恐・縮・し・て・い・る・だ・け・で」、話しを聞いていない!  つまり、すべてが「ポーズ」なのだ。 その場をしのぐことばかり考えて、うすっぺらい記号を状況状況に割り振って、乗り切れる「つもり」でいる。 使い古された、数世紀前の、社会的な表面的なしぐさ、態度でもって、「あ〜うるさいうるさい」という気持ちでもってその場の「面倒」を乗り切れると思っている。  そんな人に接したときに、一体自分はどうしたらいいんだろうか? みんなどうしているんだろうか? もう鼻が馬鹿になって臭くないんだろうか?  常に匂って匂って吐きそうな人は泣き寝入りか。 臭い、臭いよ〜。

ひさびさに愚痴りたい気持ちになったが、歩いて帰るうちに(しかも音楽はマイスシャッフル!)とてもいい心になり、護国神社でちゃんすと合流。 植木市のお祭りを楽しもうぜとおちあったのだが、どうもぼくら、お祭りのもつあまりにえぐいパワーにやられてしまい、とてもここにはいれないということでお好み焼きだの買って早々に立ち去ることに。 なんつーか、普段見かけないようなヤンキー風な子供たちのギラギラした欲望や、香具師の存在感そのもの、高校生達の器から溢れ出る性欲、すべてがあまりに圧倒的で、祭りの風情なんてものまで到達出来ずにやられてしまう。 中に入っては、縁日は縁日でなくなる。 ちょっと遠目に見てこその縁日だ。 ある意味では。  中に入ってこその縁日と感じれる人は、都市生活を心地よく生きていける人なんだとおもう(東京になにがなんでもでなくっちゃという人と、揚々と風をきって歩き強烈にセックスアピールする高校生はあまりにも重なる気がするのだ)。   家に帰り、炭酸ガスを含んでキンキンに冷えたどぶろくを感激しながらいただき、どうもここのところ妙に眠いのにまかせて早めに寝る。 

2005-05-09-MON

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