No.981 ユメ

すっかりわすれていたのだが、こないだ初めてヤマメが釣れたとき、なんと対岸のでかいカモシカと目があった。 いるとはきいていたが、急にあんなでかい野生動物とリアルに出会うと、信じられないという思いにつつまれる。 そんな馬鹿なと笑ってしまう。 しかし現実に10m先の対岸には、馬ほどでかいツノの立派な雄のカモシカが、カラダを横に向けて、首だけこっちにひねり、シシガミさまのような自分だけのゆったりした時間でじっとこっちを見てる。 すごく綺麗だ。  前にもかいたかしれんけど、ぼくの最近の夢は、源流を夢中で釣り上がっていたらいつのまにかほんとの源、時間がとまったような、木々に覆われ薄暗く湿った、湧き水の泉に出くわしてしまう、というもの。 見たこともないようなでっかいトンボみたいな虫がめちゃめちゃゆっくり飛んでいて、ぼくにまったく警戒せず目の前ぎりぎりを横切っていく。  樹木は特に変わったものでもない広葉樹。 そこにみなれない羊歯類がからむ。 何の音もしない。  でかい木が一本あって、なにも疑うことなくぼくはまっすぐその木の前に座り、背筋をしゃんと伸ばし、座禅のような足にして、なにをみるでもなくすべてをみつめるような気持ちで居る。 おどろくほど居心地が良い。 それでも最初はいままでどおり、世界と自分の肉体の内側との関わり方に若干の違和感を感じている。 が、そのまま何時間だか何年だかの時が過ぎた頃、ぼくは完全に外部と内部の差を感じないですむようになる。 ついに一体となる。 ようやく落ち着く。 存在が落ち着く。 溶け込む。 自然に、自然に溶け込む。 そういう夢。  カモシカの出現は、なんだか一歩その夢に近づけたような気持ちになれてたいそう嬉しかった。 そんな大事なことを書き忘れた。  おそらく出会ったのが熊だとしても、まずは喜びベクトルの驚きだろうとおもう。 こんなぼくがマジで熊に出くわした!!つって。   ちゃんすが帰ってきた。 おみやげをしこたま抱えて帰ってきた。 美しい食器にワサビビール、岩手屋ではない南部煎餅、そしてパロル舎の宮沢賢治+小林敏也のすばらしい絵本。 今回さぽがかってきたのは「注文の多い料理店」「どんぐりと山猫」。  話がすばらしいのはいまさらいうまでもないが、この、小林さんの、版画がすごすぎる!!!!!! なんだこりゃ!!! 尋常でない。 人の仕業でない。 しげるくん、人の仕業では、ないですよばかだなあ。  版画のすばらしさに酔いしれながら岩手屋でない南部煎餅のコーヒー味や甘くるみ味などをこれまた絶賛しながら食べ、で、「注文の多い料理店」原作を読み終えたところにちゃんすがおもわず買っちまった「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ(高橋源一郎)」というとんでもない短編集というかオマージュオナニー集の中の、「注文の多い料理店」を読む。  やっぱりこの人はバカだ。 ほんとうに、プロのバカだ。 宮沢賢治にこの本を見せたら、きっと大喜びする。 大喜びして、ニヤリとする。 それからくすっと一度わらって、なにかわかりずらいおもしろいことをこそっといって、こちらはそのわかりづらいことがよくわからないから(いいことなのかわるいことなのかわからないから)困惑してしまう。  困惑しているのがばれるとかっこわるいので、「バカだなぁ」なんてもう一回いってみて、猫の背伸びや営業のタバコみたいに場をごまかす。  少し先で、変な踊りみたいなものを思いついて、それに夢中になっている宮沢賢治があんまり素敵だったので、自分もマネをしてみたらどうも自分のは垢抜けないというか世俗的なダサさがこびりついているなあと残念におもい、踊るのをやめる。    とりもどそうとして、深呼吸、トンと心を平らに揃えて、目を閉じる。    音が消える。    でっかいトンボみたいな虫が交尾しながら、すごい形で2匹一緒に飛んでいる。 薄暗く美しい森の中。 緑色の泉は水が濁っているわけでなく、底や周りの光がすべて緑色だから。 ひときわでかい木の前ですっかり乾涸らびてしまった自分の姿をみつける。 シワシワかぴかぴながら、実に満足しているその穏やかな表情に、いまや己がなにものかわからなくなったこの感情の主は安心して、もう一度、トンと心を揃える。 と、川の向こうで人間がこちらをみて驚いている。 随分細長い棒に、明るいオレンジの紐をぶらさげて立っている。 この山にあのオレンジは似合わないなと思う。 小さな、悲しみの驚き、その余韻が川の中から伝わる。 反対に人間からは喜びの驚きの余韻が感じられる。 あの人間は私になにかするだろうか?   トン。   という夢。   ちゃんすはいつ帰ってくるのかなぁ? この夢のようにたくさんおみやげもって帰るかなぁ?

2005-06-02-THU

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