No.1009 リスティルライフ

ひさしぶりにスティルライフを読んだらやっぱりとんでもなく面白かった。 ひととおり池澤読んだけど、これの完成度はすごいんだわね、あらためて。 短いからぎゅぎゅぎゅと集中して全体をひとつの流れとしての細やかなトーン調整がしやすいんだろうが、しかしそれにしてもあまりに圧倒的に綺麗だ。 せせらぎや、蝉時雨や、星空や、雪道や、崖の恐ろしさなど「自然(というか世界)」がみせるはっとするような(しかし気付きにくいような)おもしろさの拾い方、拾ったそれに対する喜びかたが、嘘みたいに自分と酷似しているってのがぼくがこの人を好きな一番の理由なんだが、この話の中でもうわ、これ!てのがあった。 春になりたてのころ、決まって出かける海で、岩の上でどんどん冷えていく身体を意識ながら、ふってくる雪をいつまでもみていた主人公。 そしたらある瞬間、感覚がララっと切り替わり、雪がふっているのではなくて、自分が、自分をのせた岩や浜辺や海や地球や宇宙そのものが、静止した雪のある空間を上に登っていく、という風に感じはじめた、という情景。 「音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。 その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。 目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。   雪が降るのではない。 雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。 静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。 ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。 岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水すべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。 雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。  どれだけの距離を昇ればどんなところに行き着くのか、雪が空気中にあふれているかぎり昇り続けられるのか、軽い雪の一片ずつに世界を静かに引き上げる機能があるのか。 半ば岩になったぼくにはわからなかった。 ただ、ゆっくりと、ひたひたと、世界は昇っていった。 海は少しでも余計に昇ればそれだけ多くの雪片を溶かし込めると信じて、上へ上へ背伸びをしていた。 ぼくはじっと動かず、ずいぶん長い間それを見ていた。」

これと同じ遊びをぼくは小学生の時大好きでいつもやっていた。 ぼくがやるのは家の裏の畑のもっと奥の、小さな川に架かった橋の上。 上流を向いて橋の上から真下の川をみて神経を意識をできるかぎり集中してただただその流れのみを見つめる。 流れを目で追ってはいけない。 流れをやりすごして、視線を決めた一点にとどめなければいけない。 それが難しく、すぐに集中力が途切れてしまい、なかなか乗れない。 しかしそれでもあきらめずに、目の力を抜いてうまくコツをつかみ、30秒ほどちゃんと一点を見つめることに成功すると、それは突然動き出す。 自分を乗せた橋が、その両岸が、川の流れ以外の世界すべてが、前方に向かって動き出す。 さっきまでみていた川の流れと同じ速度で、正反対の方向に、「静かに、滑らかに、着実に」、世界の船が前進する。  心底大好きなこの感覚を、ここまで的確に言葉にできる人がこの世にいたなんて!  しかも雪を媒体に、世界が「上」に登るなんて、そんなのがあったなんて!! なんで今まで気づけなかったか!!!  ぼくは数年前にはじめてスティルライフを読んだ時の感動を思い出して、嬉しくて嬉しくて、一息もつかず一気に読みほした。  ユメのような一時間半、そしてその後みた夜の街の景色の見え方が、入ってき方が、ひさしぶりに霞のとれた、クリアで気持ちのいいものになったことに気付く。 これだけのために生きている。

2005-06-30-THU

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送