No.1011 屁やらちんこやら

けほけほけほけほという咳がではじめてまいった。 このくっそ忙しいときに、ほんとにちゃんと風邪にかかった。 ま、かかったならばかかったでしょうがないので、ほんだらさっさと直すしかない。 この初夏のムンムンムレムレする中、ありえないぐらいに厚着をして、仕事中できるだけ汗をかく。 同僚からはキチガイかという目でみられるも、まあ元々そのようなものとして扱われているのでこういう時に変に気負わなくよいのでぼくの人生とても楽。 楽といえば、ぼくがこれまで生きてきて、楽しく正直にスムーズに愛されて楽に生きていくために、これだけは間違いないという究極的な教訓がひとつ。 「人前で平気で屁をたれるべし」  経験上、男にしても女にしても、人前で平気で屁をたれる人はまず間違いなくかっこいい。 様子がええとかそういうことに終始せず、大事な部分がえらく垢抜けていることが多い。 そして例外なく根っこのところが誠実。 幼心にそのことを強く感じたぼくは、自分もかくありたいと願い、そしてこれまで実践してきた。  もちろん「平気でたれる」ためには自分の気持ちだけの問題でなく、たれたあとにまわりが平気でいられるような「屁」であらなければならないわけだし(くっさい屁はそれ自体むかつく対象、害、なので平気でたれていいわけがないし、音が汚らしくてもいけん)、さらにたれた後の「自然さ」が「不自然」なものにならないための、普段からの我の柔軟なイデオロギーの漏れ、みたいなものの演出もとても大事になってくる。 また極端に様子のいけすかん奴が屁をたれたらそれも理屈抜きでむかつくものなので、最低限の様子への気配り(別にうつくしくきかぜれというわけではなく、己の様子へのその態度にどこかララと輝く「粋」を意識するべしという類の気配り)も大事である。 つまり、「人前で平気で屁をたれるべし」とは、ただどこでも知らん顔で放屁する厚顔無恥を身に付けるということでは決してなく、精神、食、健康、様子、すべてをしなやかで粋なものとして維持したうえで、そのうえで、「どうでもええやん」という厚かましさみたいなモノをこれまた粋に放とうぜという呼びかけであり、そうすると、もっと、もっと、楽しく正直にスムーズに愛されて楽に生きていけるんじゃないかしらという提案。  エロス抜きで、仕事中がばとTシャツをめくり上げ、平気でおぱいをさらけ出し、なんかここ虫にさされてへん?と自分で見れん乳の下を見てくれとあっけらかんとしていってくる女子社員とか、すごく好感もてるもん、ほんとに。 隠すエロさとか美とかそういうんは別にひとつの趣味嗜好、お遊びであって、人の普遍的な美学としては魅力にかける。 どうでもいい。 正直同姓にいきなりちんこ握られて「うわぉ!」なんつってマジで腰ひくやつとかありえん。 どんだけもの知らんのじゃ。 ぴくりともせず「ニヤリ」だろがい。

2005-07-02-FRI

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