No.1012 言葉

「告白」の河内なまりの小気味良さに、どうも昨日から頭の中関西弁にとりつかれているが、小町田(しょうまちだ)にならんためにもなんとか気力を振り絞り、我のオリジナルをとおそうぞ。 とはいうものの、それでも町田の文章のテンポがアイデアがアートが、やはりどうにも大好きで、スイセイさんと同等の憧れと嫉妬を感じつつも「ああ、マネしたい」というフレーズ満載でもうどうにもたまらん。 町田コミュで大好きな台詞、みたいなのがあって、さらりと見たが、やはり面白い、すごい。 特にぐっときたのが「いい日選んで、目ぇ噛んで死ね、ど阿呆」という神憑りなリズムの良さをもった啖呵と、「光の中で誰がゴールド」という、と、いう、…うわ、やっぱこれすげー。 さらりと書けん、扱えん、流せん。 同じようなことをいうフレーズは50000とあるし、普通はどうしようもなくしょっぱいもんだけど、こんなクールなやり方があったなんて。 なんか、自分では比較的素直におおらかに楽しんでいるつもりだった言葉ですら、実は惰性でこなしていた自分を改めて認識せしめられ、強烈なショック。 ポジティブショック。 もっともっと楽しむ余地があったではないか。つって。 ん〜、楽しい、言葉っておもしろい。 一番末端の狭義の「言葉」ですらこんだけ楽しむ余地、可能性がある。 いわゆるディスクールとかロゴスというレイヤーも含んだ「言葉遊び」「言語アート」みたいなものがもっと日常にぽんぽんぽんぽん混ざってきて、ごく自然に、いろんな無駄な不自由な境目をなくして拡大していったらどんなにか楽しいか。 保坂が探求するところの「言語化可能領域の拡大」のひとつの答えが町田の文章に隠されているような気がしてならん。 この人の美意識は、ぼくは「詩」のそれだとおもうんですが、詩と平易の文との関わりかたの面白さ、見せ方、合わせ方ということなんかな? ん、こうかくとどうもつまらんことになる。 現存の延長みたいにおさまる。 あれを語る言語はすなわちあれ、もしくはあれをも内包する言語でなきゃいけんということか。  や、それにしても、スターシステム的に登場する「あかんではないか」とか「おほほん」とか「ピース」とか、たまらん! 秀才!

2005-07-03-SAT

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