No.1023 グルーガン

仕事が大詰めで、日記をためてしまい、たまり初めの平日のこの日がどんな日か全く思い出せない。 いつのまにか、こないだ「明日にでも買おう」と書いた「グルーガン」なるものが家にあるので、この日に買ったことにしましょう。  《「書く」という行為は「過去」に影響をおよぼす》という、世界をひっくり返すようなすごいことが例の「小説の自由」に買いてあって、一見読み流してしまうようなことだが、それはものすごいことをいってしまっているわけで、筆者はそういう意味ではいっていないにしてもぼくはまたしても、時間も空間も含め、過去も未来もあそこもここも、全部「ひとつ」的世界観がまたしても(一文に二度)深まってしまった。  つまりぼくが「グルーガン」を7月14日に買ったと書いてこうしてまとめてしまえば、もし仮に違っていたとしてももう過去はそういうことに改竄され、本当は違うんだ、それは記憶違いで実際は13日に買ったんだよという真実が、過去の現象が存在したんだなんていうこともさして意味のないことになり、だってすべてはひとつのカタマリであって過去も未来も本当も虚構もすべて幻想の形、ある切り口の見え方の一例であるとみなせば、もうそこはまさにグルーガンで溶かされたグルーが流体のような形のままニュギャと固まったように全体の「ひとつ」の中の一部分として動きを持ったようで静止したような妙な形でニャギャと定着し(たような見え方におさまり)、単純にぼくらがいうところの「過去」なるものが(まあさっきもいったけどそれ自体が4次元の切り口としての3次元くらいの意味しかないひとつの幻想だとしても)それとして真実になりえる、みたいな。 ね。 わけわからんね。

2005-07-14-THU

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