No.1055 草枕

「こころ」を読み終え、「草枕」を読んでいるんだが、つらい。 見たことも聞いたこともない難しい熟語が祭のように乱発、一行に何回も巻末の注解に飛ばなくてはならず、しかも言ってる内容のほとんどが語り手の心に浮かぶ非常に抽象的な思弁だもんだから、1ページ理解するのにやたらと時間がかかり、主人公のリアルタイムはなにが起こっていたかなどすぐに忘れてしまう。 こんなつらい読書初めてである。 それでも無理して集中してがんばって読んでみると、実際かなり密度のこい面白い思弁の連続だもんだからあきらめるのももったいなく、お盆前からなんとか波に乗ろうと粘っている。 いまだ乗れず。 「それから」に移行しようかなと何度かおもったけれど、ここで挫折するとこの先ある程度以上難解な書物にぶつかったときに投げ出す癖がついてしまう、ばかりか、それは書物だけにとどまらず、あらゆる困難に対してこれ以上は無理というある線をひいてしまうことになるに違いない。 実際そうやってずいぶんはやい段階でずいぶん低いところに線をひいてしまってなんも楽しめずになんも知らずにそれでいて自分がなんも楽しめずなんも知らんことなんか気づきもしない人をたくさん見てきたから、見ているから、そうなりたくないというなかば強迫観念で今日も挑む。

この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づき難しとなす所に於て、芸術家は無数の琳琅を見、無上の宝ろを知る。俗にこれを名けて美化と云う。 その実は美化でも何でもない。燦爛たる採光は、炳乎として昔から現象世界に実在している。只一翳眼に在って空花乱墜するが故に、俗累の羈絏牢として絶ち難きが故に、栄辱得喪のわれにせまる事、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。

燦爛たる〜あたりからターナーの前ぐらいまで、お手上げです。 こんなんが続くのです。 じーちゃんとかはすらすらよめんのかな。

2005-08-17-WED

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