No.1140 『意味のない領域』

「あ、今『意味のない領域』に入った!」とおもう時がよくある。

例えば仕事をしていて、お客さんAはデザイン案1を気に入り、お客さんBはデザイン案2を気に入ったとする。 どちらの担当者にもそれぞれ気に入られるとは、なんとうまいこと方向性を分散させつつ、かつツボを押さえたいい仕事をしたことだろう。 さて、気に入ったのが二つも用意されたのだから、あとは内部で話し合って、どちらがお客さんの会社としてよりふさわしいものか、どちらがより大きな、あるいは質の高い利益につながるか、そちらの尺度で検討していただいて、どちらかに絞ってくれればそれでいい。 とととところが、お客さんAはどうしてもデザイン案1が良く、お客さんBはどうしてもデザイン案2が良いらしく、お互いどうしても譲れない、ということがままある。 こういうときよくあるパターンが、ふたつの間の折衷案を出してくれというもの。 いやいやいやいやいやいやいやいや、いやいや、そういうことじゃないでしょうが。 それは言葉の上では「ふたつのあいだ」なんていえちゃうかもわからんけども、それは現実とはまったく関係ない、「言葉」という観念の上においてのみ成り立っているように「みえる」だけの、なんら内容のない、答えのない、思考遊びであって、そんな、まったく方向性の違うデザインの「間」なんてものが「現実世界」にジャジャン!とかっこうよく成立するはずもなく、そのぐらいのことは畑違いとはいえ、あなたがたそれぞれが得意とするところのいろいろな他のことの経験をとおしてわかってなくっちゃならんでしょ、いい年して、社会でて働いて長いんだったらさ。 小学生がだまされるような初歩的な哲学的罠にすっかりだまされてどうする。 と、しかし、まだこれはいい方である。 気持ちはわかる。  1も2もいいから、その間をとってくれ、ていう、その気持ちはわかる。 100歩ゆずって、わかる。  さて、じゃ『意味のない領域』とは何か?  お客さんAはどうしてもデザイン案1が良く、お客さんBはどうしてもデザイン案2が良い。 双方一歩も譲らず、このままでは埒があかん。 埒があかんので、「もう1案、別なの作ってよ。」  これである。 これがぼくのわたくしのいうところの『意味のない領域』突入の瞬間である。  すでに、ひとつの物件について、どうしたらその情報が、より引き立ち、伝わるかを、熟考、吟味、試行錯誤した末、本来ならひとつの答えに向かうべきところを、がんばってふたつも提案し、なんとその双方ともそれぞれ気に入られたのである。 要望にかなったものを、受け渡したのである。 なぜに、どちらか決めれないという理由によって、もうひとつ作るということになるか????  全く無意味ではないか。 あんたがたのいってることは、ふたつ別々の料理を注文して、でてきたものがどっちもとても美味しいのだが、美味しくてひとつに決められないからなにか別のつくってみてよ、といってるようなもんよ? あり得ないっしょ? うまいんだから食えよ。 用意された食材で一番美味しいと思うモノをこっちは作って、現にあんたら美味いっていったじゃんか? なんで無理矢理もう一品つくるということになるかな??

というのが、『意味のない領域』への象徴的な流れ。 これにはいったときに、感覚的に、すぐに、「あ、今『意味のない領域』に入った!」と感じるか否かは、一緒に仕事をしたいか、一緒に生活できるかどうかの強力なバロメータとなる。 『意味のない領域』をまともに取り合うような目の曇った奴は、なにをやってもヤボヤボで、誠実なつもりがどこまでも不誠実で、かかわるこっちが一方的に嫌な目にあうものと相場がきまっている。 『意味のない領域』は感じた瞬間にばっさりと切って、「それは無意味ですよ」とはっきり誠実に説明し、その無意味さを、無駄を、観念上の誤解からくる幻想の上になりたっていることを、しっかりと相手にわからせる必要があり、それをしないでずるずる同じレベルでいつまでも対処療法対処療法では、なんともならんのだ。 患者にとって最良の処置とは、その病気の根元を見いだし、そこから完全に絶ち、そしてしっかりと理解してもらうことに他ならないのだ。 『意味のない領域』にはいったのにも気づかずに、「はい、じゃあもう1案ですね!」なんていっちゃう人てのは、なにも問診せずに患部を一目みて簡単に強いステロイドだす皮膚科の医師と似たようなもんだ。

2005-09-13-TUE

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