No.1196 つまりもっと上手に泳ぎたいという話

あまりふるわなかった、今日のプール。 ようわからんようなってもた。 その日の出来不出来で帰りの気分はまるで違う。 同じ筋肉の痛みもネガティブに感ずる。 思い出としてマクロな客観的視点でふりかえってみれば微笑ましく些細な一喜一憂も、その日その日のリアルな本人の感覚としてはけっこう深刻に絶望的だったりする。 ぼくだけは一生泳げないんじゃないか、とか、ぼくが本気出したら天下一なんじゃないか、とか、その都度アホみたいな極端なことを思ったりする。 カリのフチにある例の白いボツボツに大げさになやんでうっかり自殺する小学生だってきっといるはずだ。 上空をゆっくり進む小さな飛行機も現実なら、極寒の中とてつもないスピードで空気を切り裂く飛行機も現実である。 昨年体中を虫に刺されてノイローゼ気味になってもう死んだほうがマシといっていたちゃんすの言葉も地上からながめるぼくはニヤニヤと虫さされぐらいでつって眺めていたが、本人はたぶん本気で死んだ方がいいとおもっていたろう。 ひとつの現象が放つ印象心象というのはひとつではない。 集団幻想である世界のいわゆる「世界」たる最大公約数(辞書やね、つまり)}なんてのは、基本的なコミュニケーションにおけるデバイス程度のもので、扱う内容の本質にはまるで迫っていない。 にもかかわらず、それこそが真実と思いこんで、いや思いこんでというかそこをなにも考えず無意識で(さながら集団催眠である)、その記号のみですべてをすまそうとする人々の多いこと、多いこと。  つまらん。 ほんとにつまらん。 おまえの、独自の、パーソナルな視点を、視線を、タマシイのアイデンティティを、しめせあらわせぼくにくれ。 一言めからなに話すかわかるような人と話してる時間は心底もったいない。 辞書に書いてあることをいまさら確認し合ってどうなるん。 1000人が平均して思うことを大声で手を挙げて溌剌と発表してどうなるん。 極端で(当然中庸なスタイルでシンプルであることが前提)、バランスが悪く(もちろんあらゆる面でバランスがいいことが前提)、強烈なエゴイスト(いうまでもなくすべてのエゴから解脱してあることが前提)。 そういう人とお話がしたい。 セックスがしたい。 殺し合いがしたい。 旅がしたい。

2005-11-08-TUE

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