No.1200 小津、すごいから、ぼくもすごいことなっちゃった

夜中に観た小津の東京物語、そうとうビンビン心に体に響き浸透し、もうたまらなかったというのに、最後の10分くらいウツラウツラと観てしまったことを悔やみ、もう一度朝見直す。 やばい。 良すぎる。 全ての美意識が、ほぼ完全にぴたり。 保坂和志の小説、高野文子の漫画、ジョアンジルベルトの音楽、このベクトル、このレベル。 ナラナラと研ぎ澄まされた、日常を解像する視線、それを表現するための方法を吟味する尋常でない執着。 病的にナイーヴで、ゆえに病的にねっちょ。  ほんとに素敵な映画だったので、興奮してしまい、すぐに音声解説付きにしてもう一度観る。 主役の笠智衆も解説に加わっているのだが、当時の実年齢が49歳と知り驚く。 どうみても70超のじいちゃんなのに、どうやって???  当時撮影に関わっていた人間数人と評論家風の人が愛情たっぷりにいろんな裏話を語る。 いろんな事情をしればしるほど、さらに小津映画への興味が深まる。 この美しさは希有だ。 日本人にうまれて本当によかった。 次は晩春か麦秋を観よう。  なんか熱烈に親孝行したくなった。

あまりいい映画を観てしまったのでここ最近なかったレベルまで脳が活性化してしまい、世界がなんでもわかる状態になった。 とてつもない精神的動体視力に解像度。 こんなすごいの数ヶ月ぶり。 その状態で何気なしにギターを弾いていたら、音楽の重大かつ根本的な秘密に突如気がついてしまい、突然、コンポーザーとしてのスキルがこれまでとくらべものにならないぐらいにあがった気がした。 コンポーザーとしてのスキルといったのは音楽を扱う、音楽を認識する象徴としてわかりやすかったからで特に作曲ということに意味はないのだが、とにかく楽器の使い方(いったら倍音の問題ね)、リズムの分配、和音、グルーヴを醸すあらゆる要素が、理論を飛び越えて、心と直にふれあった感覚を生まれてはじめて感じたの。 なにをいってんだとおもわれるだろうが、本当に自分でもビックリするような感覚が突然自分の身体感覚に立ち現れたとしかいいようがない。 音楽を構成するいろんな要素(観念的なものも含めて)が、全部素手で触れるような生々しい質感をもったという感じ。 んー、なにいってんだろ。

お昼、ちゃんすとふたり、一刻館というはじめてのお店で、オムライスとビーフシチューを食べる。 ネットで山形のおいしいお店を探ってたら、大好きなシトロンと同じ質感の高評価を得ていたのでいってみたのだが、うめー。 かなり、うめー。 オムライスはぷりっぷりのでっかいエビなんかはいっちゃって、ふわっふわで、絶妙の甘みと深いコクのある、ぼくがオムライスにもとめるものが全部網羅されたすばらしい味。 ビューティフル。 ビーフシチューはでっかい肉塊がふたつとこれまたでっかい野菜がとろっとろに煮込まれておりやして、めっちゃめちゃうめー。 ちゃんすが小食なのがこれほどありがたかったことはない。 いつまでも食べ続けていたい味。 確実にヘビーリピーター。 じいちゃん、どうか死なないで!

あんまり愉快なので、勢いで仙台へ。 前から補充しなければと考えていたドゥニームのコーデュロイパンツ(グレー)を見にいったのだが、途中うっかりマーガレットハウエルによってしまったら思いのほか店員と盛り上がってしまい、やたら長居してしまう。 この時点で今日の水泳教室はもう無理。 残念。 ステンカラーのグレーのコートと、白シャツ、ニットタイがとても素晴らしいクオリティでやばかったのだが、まるでお金がないぼくは全部見るだけ。 ちゃんすは薄手のマフラーを購入してた。 ドゥニームでグレーのストレートを試着するが、今年のはどうも腿まわりが微妙に野暮ったいラインだったので見送り、かわりに別ラインの細身の茶を購入。 こっちはかなり形が良い。 裾あげの間スタバで時間をつぶし、30分ぐらいで出来たものを受け取り、山形へ帰る。 帰り道車中で流れたくるりの「図鑑」にあらためて驚愕。 今日は脳が尋常でなくフル回転なので、今までになくそのすごさに気づけたのだ。 もともとダントツで好きだったこのアルバム、おそらくジムオルークの力によるところがでかいのだろう、やはり、別格。 特にインストの惑星づくりのリズムのおもしろさに開眼。 これは、もう。

2005-11-12-SAT

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