No.1209 明朝体

うちとしてはめずらしく、かなりレベルの高いデザイン会社とからみのある仕事がはいり、まああまりこちらの裁量でどうにかできる仕事ではないのだけど、それでもそういう圧倒的に厳しい目にさらされ社内がピリリと引き締まる感じがとてもうれしい。 おまけに指定の書体をそろえなきゃいけんと、とても美しい和文明朝系と欧文スクウェアセリフ系の書体まで買ってもらえて、ウハウハ。  相手方のヘッドが書いた、書体について、サインについての考察文(雑誌で特集されたようなもののコピーをもらった)を熟読したのだが、これが非常に面白く、また、自分が以前からおもっていたことと類似していて、感激。 自分が漠然とおもっていたことをここまで的確に言葉にできる人がいることにショックすらうけた。

ようするに公共のサインデザインにはただ慣習によって和文ゴシック、欧文サンセリフ等の、線幅が均一で仮想ボディいっぱいまで使った文字が圧倒的に好まれて使われているけど、視認性や誘目性や判別性をトータルで考えたとき、また、人間が文字の塊を意味として認識するときのメカニズムを考えたとき、実は和文明朝や欧文ローマン系(もしくはスクウェアセリフ等の、骨格がしっかりしつつセリフの存在する字体)の方が優れているんじゃねーのかこのやろうというお話。 この人もいってるんだけど、読みやすさを考えたとき明朝系が優れているってのは、世の中の書籍をみれば一目瞭然。 それでも「強さ」がストレートなゴシックがどうしても選ばれがちなのが現状で、たしかにいわゆる明朝の横棒が細い構成は一文字一文字の視認性だけをみた場合サインには向かいない、のだが、単語レベルでの認識を考えるとあきらかにセリフをもった、またそれ以外の表情も豊かで、かつ仮想ボディに対して字の占有面積にゆとりのある明朝の方が識別しやすいのだ。 だので横棒と縦棒に差がなく、なおかつセリフをもったナウMMなどは実にサインに優れていて、彼も自分の仕事に重宝しているようだった。 ゴシック盲信がみなおされ、サイン用の明朝が競って開発されるときがくるんじゃないかしらとぼくはおもう。 勘のいい人はアイキャッチとしての明朝をすでに実にうまく使いこなしているのだ(もちろん適切な小細工が鍵になるが)。 ちなみにゴシックの誘目性というのはそれ単体では発揮されず、明朝系の中に紛れたときの判別性でこそ浮き上がってくるものだ。 ゴシックは読ませる書体ではなく、やはり絵としての要素が強いとおもうのだ。 タイポグラフの基盤としてとらえ、なにもいじらなかったタイポグラフ、として感じたほうが、その存在を的確にいえてるとおもう。 さまざまな施設のサインデザインに、柔らかく視認性に優れた

2005-11-21-MON

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