No.1225 壁を見誤らない

今日もプール。 ふつか連続でいけると実にうれしい。 久々の教室、今日はじめての男の子とぼくのふたり。 同じくらいやせっぽっちなので親近を感じる。  肩をおもっきし大きく前後させながらバタ足するというドリルを教わるが、これがなかなか難しい。 足と肩が別々の意識で動いてしまう。 足は意識せんで、肩の動きに追従するような感じでといわれ、そうしてるつもりなのだが、なかなかうまくいかん。 しかし10分もやってると当たり前にできるようになってきて、なるほどこうすることでローリングの動きを上半身が覚え、かつ肩に意識があるので足が良い感じで力を抜けて柔らかなキックを覚えることができるということか。 と頭では理解するのだが、しかしキックがいつにもまして進まない。 ぬー。 まー、それを改善していくために反復するのがドリルなのだから、最初はできなくていいんだ。  続いて久しぶりのクロールレッスン。 やった。 もうひとりのやせっぽは今日はじめたばかりなので、ふたり別のメニュー。 で、ぼくは、片手にビート板をもって腕を伸ばし、もう片方の手はきをつけ、で、きをつけの方に顔を上げて息継ぎしながらのバタ足というドリル。 これがとんでもなくむずかしい。 いつもかきてに合わせてならなんなくできてる右の呼吸が、かきてがないこの状態だとまるでできない。 グルンと肩ごと開いて顔を横向きにあげて水上に口をだそうとするのだが、横を向いた瞬間からだが沈んでしまい、空気でなくおもいっきり水を飲んでしまう。 いくらやっても顔がでないのだ。 なんじゃこりゃ? いろんな重心、いろんな意識をためすが、全然わからん。 ためしにもっとできないであろう左をやってみる。 と、これが不思議なことに明らかに右よりも自然に顔が水上にでるのだ。 なんで?  自分はじつは左の方が息継ぎうまいんだろかとかきて付きで試すと、やはり断然右の方が慣れていてやりやすい。 なぜかきてなしだと左なんだ?  先生もこういうケースはめずらしいと不思議がる。 左ができたもんで、右もできるはずだということをリアルに知り、いろいろ研究する。 右は沈むだけでなく、進路も安定せず、どんどん左に寄っていってしまう。 体の使い方がまるでダメなんだろう。 左の時の感じをいろんな視点から見つめて、覚え、それを右に当てはめる。 が、だめ、全然だめ。 全然だめなまま時間が終了。 最後に先生から、もうちょっとうまくなってきたら今度はビート板なしでできるように練習してちょ。と。

まだ1時間半泳げるので、ひたすら練習。 ためしにビート板なしでやってみたが、これがまた冗談じゃないてぐらいむずかしい。 ガバと身体を横向きにした瞬間4〜50センチは身体が沈み、いくら必死で首をまわしたところでそこは水の中。 息ができないてのは本当に恐ろしく、精神的ダメージがでかい上に、失敗したときの身体へのダメージも相当で、この練習はかなりリスキー。  レーンに自分ひとりになったのでいろいろためしてみる。 進みながらだとどうしても必死に呼吸しなきゃとおもってしまうので、その場でプカと浮いて、ほのぼのとした気持ちで「ちょっとよこでもむいてみるかな」ぐらいの軽さでやってみる。 と、意外と簡単に、しっかりと水上に顔がでる。 ほう。 余計な力や意識がないと、沈まないんだ。  ゆっくり、かる〜くバタ足をつけて、あ! そうだ、この練習、足に合わせて呼吸するというのを書くのを忘れてた。 右足をおろしたときに右に顔をだして呼吸する、その足との連動を身体に覚え込ませるのが主たる目的なのでした。 そろっと足をうちおろし、で、ふわっと顔を水面にだす。 うん、さっきまでの絶望的な感じはなくなった。 ちゃんとできることになりそうな光が感じられた。  やはりビート板なしでも右が苦手で、これがとても不思議でならない。  ぼく的にとてもつらいドリルだが、今日徹底的にやることがとても今後のためにいいなと直感的に悟り、ひたすらやりつづける。 で、ビート板に戻ったらどうだろうとためしにビート板ありでやってみる。 全然だめ。 かえってわからんくなった。 伸ばした手が浮きすぎてるから体のバランスがうまくとれない。 が、たしかにビート板のおかげで沈みずらいということについて最初にやったときよりも実感をもってありがたいと感じることもできたのも事実。 だのでしつこく、さっきのようにゆったりとした意識を大事にいろいろな感覚でもってためしてみる。 そしたらある瞬間から、急に苦手だった右がとても簡単にできるようになった。 おお! 連続して水上に顔がでる! しかも、進路も曲がらない!  うれしい!

ぼくがいつもものを覚えるときに使う技で、レベル5すらまるでできずに絶望的な状態で、あえてレベル10に挑む。というのがある。 で、10に対してできないながらもあらゆる角度から自分のできるかぎりの可能性をめいっぱい試す。 で、5にもどる。 そうすると、あら不思議。 さっきは闇雲にやっていただけで、すべてが謎につつまれていたあらゆる要素が、ぱっと雲が晴れたように、ばっちり見えるようになっているのだ。 ああ、これはこういうことで、ここはこういう意味、で、これがここのためのこれだったのね、と。 で、自分が注意すべきポイントの優先順位も自ずと導きだせ、非常に効率的に、楽しく最初の高い壁の高さを知るにいたる。  人がなにかに挫折する一番の要因は、最初にたちはだかる高〜い壁の、その高さを具体的に知るまえにあきらめてしまうことにあるとおもう。 確かになにをするにしても、まるで触れたことがないものに踏み込むときてのは、慣れた日常では考えられないぐらい残酷な高い壁があるものだが、しかし残酷なまでに高いとはいっても、それは無限ではない。 無限と1億キロメートルでは1と0くらいの次元の違う差がある。 挫折するときてのは、壁のあまりの高さを無限と読み違えるんじゃなかろーか。 あ、これは自分には無理なやっちゃ。て。 しかし実際に1億キロメートルであることさえわかってしまえば、たしかに途方もない高さではあるが、一日1キロずつすすめば間違いなく1億日めには超えられることがわかる。 つまり、ある意味、余裕。 で、毎日すすんでたら、ずっと1キロなんてことはなく、そのうち知らずに10キロすすむ力が身に付き、そのこと自体がモチベをあげ、またさらに進化を促す。 なんでも正比例に伸びていくなんてほど世界は単純ではないので、10キロ/日が100日続く期間があるかしれんが、しかし現に「成長」を一度でも体感したものは、続けることで伸びることを「事実」として知っているというこれ以上ない強みを、世界の一番重要な秘密を、宝をもっているから、決してそこまでいってあきらめることはしない。 あきらめる人はまずまちがいなく最初に壁の高さを無限にしてしまった人だけなのだ。

今日の練習で「息継ぎ」の壁の高さは無限でないことを確信できた。 しばらくはこのドリル中心でしつこく粘ろう。 これがうまくできるようになったら、成人からはじめた人としては異例の「姿勢の良さ」を体得できる気がする。 ぜひともあのちびっ子選手団なみの美しい泳ぎを覚えたいのだ。 成長期の運動感受の大切なときにこんな素敵な技術を身につけたこいつらが本当にうらやましい。  

2005-12-07-WED

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